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2020年10月21日00:00

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イザヤ36-47章(16-34)

【イザヤ45:8 天はどのようにして「水を注」 ぎ,雲はどのようにして「義を降らせ」ることができるか】
ここでイザヤが詩篇85:11に記録されている内容と同じことを言おうとしていることは,ほとんど疑いの余地がない。「まことは地からはえ,義は天から見おろすでしょう。」 イザヤは大地が開けて,救いの言葉が現れる様子を示現で 見たが,これは埋めておかれたニーファイ人の記録が『モルモン書』として世に出てくることを指している(エゼキ エル37:15-20と比較。ジェームズ・E・タルメージ『信仰箇条の研究』pp.366-67;ブルース・R・マツコンキー『モルモンの教義』p.99;オーソン・プラツト『説教集』 17:187-188参照)。
末日に起こるこの出来事について考えると,人がその造り主に向かって「あなたは何を造るか」などと言うことが 決してできないことがよく分かる。ジョセフ・スミスに対して陰謀を企てた多くの人々は,単にジョセフ・スミスをののしっていただけでなく,自分たちの造り主までののしっていたことになる。ジョセフ・スミスこそ,その造り主の僕だったからである。
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