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2020年08月08日00:00

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イザヤ13-23章(14-34)

【イザヤ21:3-10 なぜイザヤは自分の受けた 示現のためにそれほどまで悲しんだのか】
イザヤに下された示現によって引き起こされた苦痛はき わめて強烈であったため,ヘブライ語の表現では,イザヤ の心境が単なる悲しみ以上のものであったことが詳細に書き記されている。「カルカラというのは,けいれんによって起こる引きつけのことである。ナホム2:10にその例がある。ツィリムというのは,分娩のときの痛みを適切に表現 する語である。ナ・アバという語は腰をかがめる,あるい は曲げるという意味であり,また苦痛が発作的に起こると いう意味を表すときにも用いる。夕・アという語は,詩篇 95:10とは異なった意味で用いられているが(しかしなが ら,詩篇38:11は参照せよ),心拍が急に不規則になるという意味である。このイザヤは夕方と夜の闇をひたすら愛し(ここで使われているチェシェクという語は,好むものに 対する望みという意味で,列王上9:1,19にもその例が ある),かつ待ち望んだ預言者である。沈思黙考する時が欲しかったのかもしれないし,身も心もその働きから休ませ たいと考えたのかもしれないが,その闇も,恐ろしい示現 によって,おののきへと変えられてしまったのである。」(カ イル,デリッチ『注解」7:1:381)
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