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2019年11月10日00:31

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1コリント12章

01 兄弟達よ。霊の賜物については、次の事を知らずにいて貰いたくない。
02 貴方方がまだ異邦人であった時、誘われるまま、物の言えない偶像の所に引かれて行った事は、貴方方の承知している通りである。
03 そこで、貴方方に言っておくが、神の霊によって語る者は誰も「イエスは呪われよ」とは言わないし、また、聖霊によらなければ、誰も「イエスは主である」と言う事ができない。
04 霊の賜物は種々あるが、御霊は同じである。
05 務は種々あるが、主は同じである。
06 働きは種々あるが、全てのものの中に働いて全ての事を成さる神は、同じである。
07 各自が御霊の現れを賜わっているのは、全体の益になる為である。
08 即ち、ある人には御霊によって知恵の言葉が与えられ、他の人には、同じ御霊によって知識の言、
09 また他の人には、同じ御霊によって信仰、また他の人には、一つの御霊によって癒しの賜物、
10 また他の人には力ある業、また他の人には預言、また他の人には霊を見わける力、また他の人には種々の異言、また他の人には異言を解く力が、与えられている。
11 全てこれらのものは、一つの同じ御霊の働きであって、御霊は思いのままに、それらを各自に分け与えられるのである。
12 体が一つであっても肢体は多くあり、また、体の全ての肢体が多くあっても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である。
13 なぜなら、私達は皆、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つの御霊によって、一つの体となるようにバプテスマを受け、そして皆一つの御霊を飲んだからである。
14 実際、体は一つの肢体だけではなく、多くのものからできている。
15 もし足が、私は手ではないから、体に属していないと言っても、それで、体に属さない訳ではない。
16 また、もし耳が、私は目ではないから、体に属していないと言っても、それで、体に属さない訳ではない。
17 もし体全体が目だとすれば、どこで聞くのか。もし、体全体が耳だとすれば、どこで嗅ぐのか。
18 そこで神は御旨のままに、肢体をそれぞれ、体に備えられたのである。
19 もし、全てのものが一つの肢体なら、どこに体があるのか。
20 ところが実際、肢体は多くあるが、体は一つなのである。
21 目は手に向かって、「おまえは要らない」とは言えず、また頭は足に向かって、「おまえは要らない」とも言えない。
22 そうではなく、寧ろ、体の内で他よりも弱く見える肢体が、かえって必要なのであり、
23 体の内で、他よりも見劣りがすると思える所に、物を着せて一層見よくする。麗しくない部分は一層麗しくするが、
24 麗しい部分はそうする必要がない。神は劣っている部分を一層見よくして、体に調和をお与えになったのである。
25 それは、体の中に分裂がなく、それぞれの肢体が互にいたわり合う為なのである。
26 もし一つの肢体が悩めば、他の肢体も皆共に悩み、一つの肢体が尊ばれると、他の肢体も皆共に喜ぶ。
27 貴方方はキリストの体であり、一人一人はその肢体である。
28 そして、神は教会の中で、人々を立てて、第一に使徒、第二に預言者、第三に教師とし、次に力ある業を行う者、次に癒しの賜物を持つ者、また補助者、管理者、種々の異言を語る者を置かれた。
29 皆が使徒だろうか。皆が預言者だろうか。皆が教師だろうか。皆が力ある業を行う者だろうか。
30 皆が癒しの賜物を持っているのだろうか。皆が異言を語るのだろうか。皆が異言を解くのだろうか。
31 だが、貴方方は、更に大いなる賜物を得ようと熱心に努めなさい。そこで、私は最も優れた道を貴方方に示そう。
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