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2019年11月08日00:08

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1コリント10章

01 兄弟達よ。この事を知らずにいて貰いたくない。私達の先祖は皆雲の下におり、皆海を通り、
02 皆雲の中、海の中で、モーセに着くバプテスマを受けた。
03 また、皆同じ霊の食物を食べ、
04 皆同じ霊の飲み物を飲んだ。即ち、彼らに着いてきた霊の岩から飲んだのであるが、この岩はキリストに他ならない。
05 しかし、彼らの中の大多数は、神の御心にかなわなかったので、荒野で滅ぼされてしまった。
06 これらの出来事は、私達に対する警告であって、彼らが悪を貪ったように、私達も悪を貪る事のない為なのである。
07 だから、彼らの中のある者達のように、偶像礼拝者になってはならない。即ち、「民は座して飲み食いをし、また立って踊り戯れた」と書いてある。
08 また、ある者達がしたように、私達は不品行をしてはならない。不品行をした為倒された者が、一日に二万三千人もあった。
09 また、ある者達がしたように、私達は主を試みてはならない。主を試みた者は、蛇に殺された。
10 また、ある者達が呟いたように、呟いてはならない。呟いた者は、「死の使」に滅ぼされた。
11 これらの事が彼らに起ったのは、他に対する警告としてであって、それが書かれたのは、世の終りに臨んでいる私達に対する訓戒の為である。
12 だから、立っていると思う者は、倒れないように気を付けるがよい。
13 貴方方の会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。貴方方を耐えられないような試錬に会わせる事はないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、逃れる道も備えて下さるのである。
14 それだから、愛する者達よ。偶像礼拝を避けなさい。
15 賢明な貴方方に訴える。私の言う事を、自ら判断してみるが良い。
16 わたしたちが祝福する祝福の杯、それはキリストの血に与る事ではないか。私達が裂くパン、それはキリストの体に与る事ではないか。
17 パンが一つであるから、私達は多くいても、一つの体なのである。皆の者が一つのパンを共に頂くからである。
18 肉によるイスラエルを見るが良い。供え物を食べる人達は、祭壇に与るのではないか。
19 すると、何と言ったら良いか。偶像に捧げる供え物は、何か意味があるのか。また、偶像は何か本当にあるものか。
20 そうではない。人々が供える物は、悪霊ども、即ち、神ならぬ者に供えるのである。私は、貴方方が悪霊の仲間になる事を望まない。
21 主の杯と悪霊どもの杯とを、同時に飲む事はできない。主の食卓と悪霊どもの食卓とに、同時に与る事はできない。
22 それとも、私達は主の妬みを起そうとするのか。私達は、主よりも強いのだろうか。
23 全ての事は許されている。しかし、全ての事が益になる訳ではない。全ての事は許されている。しかし、全ての事が人の徳を高めるのではない。
24 誰でも、自分の益を求めないで、他の人の益を求めるべきである。
25 全て市場で売られている物は、一々良心に問う事をしないで、食べるが良い。
26 地とそれに満ちている物とは、主のものだからである。
27 もし貴方方が、不信者の誰かに招かれて、そこに行こうと思う場合、自分の前に出される物は何でも、一々良心に問う事をしないで、食べるがよい。
28 しかし、誰かが貴方方に、これは捧げ物の肉だと言ったなら、それを知らせてくれた人の為に、また良心の為に、食べないが良い。
29 良心と言ったのは、自分の良心ではなく、他人の良心の事である。なぜなら、私の自由が、どうして他人の良心によって左右される事があろうか。
30 もし私が感謝して食べる場合、その感謝する物について、どうして人のそしりを受ける訳があろうか。
31 だから、飲むにも食べるにも、また何事をするにも、全て神の栄光の為にすべきである。
32 ユダヤ人にもギリシヤ人にも神の教会にも、躓きになってはいけない。
33 私もまた、何事にも全ての人に喜ばれるように努め、多くの人が救われる為に、自分の益ではなく彼らの益を求めている。
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