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2019年10月20日00:00

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ローマ7章

01 それとも、兄弟達よ。貴方方は知らないのか。私は律法を知っている人々に語るのであるが、律法は人をその生きている期間だけ支配するものである。
02 即ち、夫のある女は、夫が生きている間は、律法によって彼に繋がれている。しかし、夫が死ねば、夫の律法から解放される。
03 であるから、夫の生存中に他の男に行けば、その女は淫婦と呼ばれるが、もし夫が死ねば、その律法から解かれるので、他の男に行っても、淫婦とはならない。
04 私の兄弟達よ。このように、貴方方も、キリストの体を通して、律法に対して死んだのである。それは、貴方方が他の人、即ち、死人の中から蘇られた方のものとなり、こうして、私達が神の為に実を結ぶに至る為なのである。
05 というのは、私達が肉にあった時には、律法による罪の欲情が、死の為に実を結ばせようとして、私達の肢体の内に働いていた。
06 しかし今は、私達を繋いでいたものに対して死んだので、私達は律法から解放され、その結果、古い文字によってではなく、新しい霊によって仕えているのである。
07 それでは、私達は、何と言おうか。律法は罪なのか。断じてそうではない。しかし、律法によらなければ、私は罪を知らなかったであろう。すなわち、もし律法が「貪るな」と言わなかったら、私はりなるものを知らなかったであろう。
08 しかるに、罪は戒めによって機会を捕え、私の内に働いて、あらゆる貪りを起させた。即ち、律法がなかったら、罪は死んでいるのである。
09 私は嘗ては、律法なしに生きていたが、戒めが来るに及んで、罪は生き返り、
10 私は死んだ。そして、命に導くべき戒めそのものが、かえって私を死に導いて行く事が分かった。
11 なぜなら、罪は戒めによって機会を捕え、私を欺き、戒めによって私を殺したからである。
12 このような訳で、律法そのものは聖なるものであり、戒めも聖であって、正しく、且つ善なるものである。
13 では、善なるものが、私にとって死となったのか。断じてそうではない。それは寧ろ、罪の罪たる事が現れる為の、罪の仕業である。即ち、罪は、戒めによって、甚だしく悪性なものとなる為に、善なるものによって私を死に至らせたのである。
14 私達は、律法は霊的なものであると知っている。しかし、私は肉に付ける者であって、罪の下に売られているのである。
15 私は自分のしている事が、分からない。なぜなら、私は自分の欲する事は行わず、かえって自分の憎む事をしているからである。
16 もし、自分の欲しない事をしているとすれば、私は律法が良いものである事を承認している事になる。
17 そこで、この事をしているのは、最早私ではなく、私の内に宿っている罪である。
18 私の内に、即ち、私の肉の内には、善なるものが宿っていない事を、私は知っている。なぜなら、善をしようとする意志は、自分にあるが、それをする力がないからである。
19 即ち、私の欲している善はしないで、欲していない悪は、これを行っている。
20 もし、欲しない事をしているとすれば、それをしているのは、最早私ではなく、私の内に宿っている罪である。
21 そこで、善をしようと欲している私に、悪が入り込んでいるという法則があるのを見る。
22 即ち、私は、内なる人としては神の律法を喜んでいるが、
23 私の肢体には別の律法があって、私の心の法則に対して戦いを挑み、そして、肢体に存在する罪の法則の中に、私を虜にしているのを見る。
24 私は、何という惨めな人間なのだろう。誰が、この死の体から、私を救ってくれるだろうか。
25 私達の主イエス・キリストによって、神は感謝すべきかな。このようにして、私自身は、心では神の律法に仕えているが、肉では罪の律法に仕えているのである。
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