私はこの偏執狂的批評的方法を、他者に私自身の人生の不安や陶醉を體驗させる過程で(さういふ不安や陶醉は徐々に彼等のそれらと等しく本質的なものとなつてゆくのだが)明晰さをもつて自分自身のあらゆる矛盾相剋を處理する卓抜な手法、と定義する。(アンドレ・パリノオ編『如何にしてダリとなるか』)
ダリが單なる狂人ではないのはこの「方法意識」故である。狂氣(パラノイア)のぶよぶよした水頭症を批評(クリティック)の松葉杖によつて支へる事。「荷重と支持」(R・シュタイナー)これは、表現する事、創造する事、他者との關はりについての深甚な教説なのだ。
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