『非難と祝福』
連日、
コロナウィルスが話題になっています。
誰かが感染者となれば、
どこからもらって来たのかと話題になり、
ある地域で感染者が出れば、
その地域に行くのはとにかく危ないとか、
そんなことが巷で話題になります。
ウィルスが引き起こす病気よりも、
ウィルスによって不安感が生まれ、
不安感が、誰かを嫌悪する引き金になっている、
という事が、怖いなと思います。
ウィルスをめぐって、
誰かと誰かがさばき合う、
という事が起こります。
ところで、
「さばいてはいけません。
自分がさばかれないためです。」
という、聖書の言葉があります。
(マタイの福音書7章1節)
誰かにマイナスの評価を下すことで、
自分自身もマイナスの評価を受けるのだから、
相手の事をどうこう言うより、
自分を省みて、自分の整えのために、
尽力しなさい、という事を、
この聖書の言葉は語っています。
さばき合うっていうのは、
嫌な事です。
さばき合う事によって、
私たちは負のレッテルを貼りつけ合い、
お互いに自信を失います。
そしてもともと自信のない人は、
更に追い詰められます。
できればさばき合いたくない。
感染症の蔓延によって、
私たちは不安感の中にあり、
いつの間にか、さばき合っています。
しかし、そんな中だからこそ、
誰かをさばくよりも、
祝福を届ける者でありたいです。
誰かの非難を受けて、
自分自身の価値が下げられるという思いに、
なる時があるかもしれません。
しかし、神様の目から見て、
私たちの価値は、
決して下げられる事はありません。
それを確信しているのなら、
非難し合うよりも、
お互いの存在を喜び合い、祝福し合うための余裕が、
自ずと生まれます。
お互い祝福し合い、
慰め合い、励まし合うことが出来るのなら、
とても素敵な事です。
神様を中心として、
お互いの事を喜び合いつつ、
共に過ごすことが出来たら、
それはとても麗しいことだと思います。
教会はそれを実現できる場所です。
明日は最寄りのキリスト教会へ☆彡
※新型コロナウィルスの感染拡大が続く中、最寄りのキリスト教会はもしかしたら集会を中止しているかもしれません。しかし、それぞれ工夫しながら、クリスチャンは礼拝を続けています。ホームページなどで、最寄りの教会を見つけたら、是非連絡してみてください。
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