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2020年05月19日18:18

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モナリザの微笑の意味するものは?

NHKの日曜美術館で「ルーヴル美術館 すべてはレオナルド・ダ・ヴィンチから始まった」を見た。

16世紀のフランス国王フランソワ1世は,イタリア戦争でルネサンス期のイタリアに攻め入った際に,かの国での素晴らしい芸術作品の数々に触れ、当時文化の発展では後進国であった自国を,芸術により発展させることを決意する。

フランソワ1世は,晩年イタリアで活躍の場を失っていたレオナルド・ダ・ヴィンチを自国へ招聘した。
その際,ダ・ヴィンチは自らの傑作「モナリザ」を携えてフランスへ赴いた。
これが,現代まで続く美の殿堂・ルーヴル美術館の数十万点にも及ぶ厖大なコレクションの端緒となった。

番組では,「天才レオナルド・ダ・ヴィンチ。その眼差しは最後の瞬間まで、この世界の人間の美を探し求めていたに違いありません。
人間とは何か?
大いなる問いを投げかけながら、モナリザは今も永遠を生きています。」とのナレーションに続き,最後にダ・ヴィンチのこのような言葉を引用し,締めくくられた。

『人は時があまりに早く過ぎ去ることを嘆くが、それは違う。
時は十分すぎる時間をかけて移ろうことを知るべきである。
我々は天から授かった力によって遠い記憶を目の前に感じることができるのだから』

ダ・ヴィンチそしてルーヴルのイメージを想像したと思われる,ミステリアスで壮麗な曲想のBGMを伴って語られたこの言葉を耳にしたとき,私はこの言葉の意味を理解したような気になった。
そのBGMが,砂漠に水が染み渡るごとく自然にすうーっと耳に入ってくるように,それに乗せてこの言葉もまた,自然に頭に入り込んできたように感じた。

しかし直後に,こう思い直した。
それは,まさしく「理解できた気になっていた」だけに過ぎないのだ。
ミステリアスで壮麗なBGMの曲想に幻惑されたかのように,ただ分かったようなつもりになっていただけなのかもしれない,と。

仮にこの言葉が,BGMを伴わず文章だけで目に入ってきたら,即座にその意図を理解できただろうか?

本の中でふと目にした含蓄ある言葉が気になったときのように,ダ・ヴィンチの言葉を何度も読み直し,彼の生涯や作品について自分が有している知識や記憶,あるいは他の芸術家の言葉,または私自身の経験や思考なども参照しつつ,自分なりにその言葉の意図を探り,それらを踏まえて整理してから理解しようとしたのではないか。

耳障りの良いBGMに惑わされて,このような過程を省略し,音楽が自然に耳に入ってくるのと同様に,ダ・ヴィンチの言葉も,まるで自然に頭の中に入ってきて,理解できたようなつもりになっていたのではないかと。

私は何も,番組でのBGMの起用を非難するつもりはない。
音楽の力はあまりに強い。
視線を誘導するかのように,注意を惹きつける。
仮にBGMの存在がなかったら,このダ・ヴィンチの言葉に注意を留めることもなかったかもしれない。
BGMの効果によって,この言葉にハッと注意を留めることになった効果も否定し得ない。
BGMがなかったら,この言葉は私の心に残ることなく,ただの番組内の映像のワンシーンとして印象に残らず通り過ぎて入ったかも知れないのだ。

ただ,同時に,音楽の「分かったような気にさせられてしまう」魔術のような力も改めて意識することになる出来事であった。

ともに私の好きな映画音楽作曲家,武満徹と坂本龍一は,映画音楽の役割と効果について,それぞれ「映像から音を削る」「いい映画に音楽はいらない」という発言をしている。
坂本は,武満が音楽を担当した映画「怪談」について、「この映画では,音楽のなかに効果音的なものが入っている。映画音楽はひとつの音だけでも成立する」と言っている。

彼らの言葉は,音楽が視点を誘導するように,観客の感情を特定の方向に意図的に操作することへの,作曲家としての自戒の念から生じたものと思う。
しかし,そのような意図を持って作られる映画音楽やTVドラマの音楽の方が圧倒的に多いのもまた事実なのだ。

もし,映像や言葉に音楽が付随していなかったら,そのシーンや言葉に気を留めることもなかったかもしれない。しかし同時に,音楽の持つ「ムード」に流されることなく,自らの目で映画の映像の語ること,自らの頭でダ・ヴィンチの言葉の意味するものについて,自らの言葉で考えるようになったとも思う。

例えば,同じ出来事,同じニュース素材を対象にしても,翌日の新聞には新聞社ごとに全く違う意味でとらえる見出しで報じられることがある。
戦時下の大本営発表で用いられていた「撤退」→「転進」などの巧みな?換言は,現代の企業の決算でも用いられていそうだ。

また,全く同じ映像に,どのような音楽を付けるかで,そのシーンを見た印象は全く別のものになる場合もある。

何かを感じて心動かされることと,音楽の持つ「ムード」「気分」に流されることを混同してはいけない。

モナリザの微笑が意味するものは?
まるで妙なる音楽の調べのような,モナリザの不思議な表情に惑わされて,つい分かったような気持ちにしまっているのではないか。

画家の仕組んだ謎は,それを目にする私たちの自由な発想の翼を広げ,想像の大空へと導くもの。

耳障りの良い音楽に惑わされるように,500年の時を超えて未だに人々を幻惑するモナリザの妙なる微笑に惑わされるだけではなく,500年の時を超えるだけの絵画の持つ力の謎,その末端にでも触れてみたい,わずかでもその力を理解したいと私は願う。

惑わされているだけでは,永遠の美女の魅力に指一本触れることはできないままなのだ。

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