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2020年02月08日15:19

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象を書くこと

盲人の象の故事がある。

象の足を触った者は「象とは柱のようだ」と答え,尾を触った者は「ひものよう」と答える。
同様に,鼻を触った者は「柔らかい管」,耳を触った者は「扇」に,そして腹を触った者は「壁」,牙を触った者は「大根」として,それぞれの印象を喩えた。

「木を見て森を見ず」という言葉にも通じる,ものごとを捉えるのは多面的,複眼的な視点が必要とする喩えだ。

しかし,彼らの情報全てを統合したとしても,象という生物の「形」だけをとらえるに過ぎない。
「象」は動物の象であると同時に,印象,抽象,形象,現象,気象といったように姿形,様子,有様を表す語でもある。
されど,象の「形」のみが決して象の「本質」を現すものではないのだ。
形を捉えたからといって,象の全体像を理解したことにはならない。

「ワインに酔ったからと言って,ワインの本質を理解したことにはならない」〜ハンスリック(19世紀の音楽学者)

象というものを理解するには,例えば自然科学的な見地からは,ほ乳類としての進化の系譜,あるいは生物的な知能の進化,高さといった観点から考えてみることができる。

人文科学的な見地からは,信仰の対象としての象や,美術品としての象牙の取引の歴史,あるいは労働力としての象など,人間との深い関わりといった観点から考えてみることができる。

そして,自然科学と人文科学を融合した見地からは,生物としての知能の高さと社会性(象は母系家族を中心とする強い絆で結ばれた社会生活を営む),といった観点からも考えていくことができそうだ。

ざっと思いつくだけ挙げてみても,「象」というものを捉えるのに,これだけの観点,切り口が思いつく。
それら,あるいは,私の思いつかない切り口も含めて,多面的な観点から考察することで,はじめて「象」というものの全体の姿を捉えることが可能となる。

私がいま構想を進めている音楽論もまた,この話と共通する。
「音楽とは何か?」との問いを考えるのに,言葉は悪いが「専門バカ」的な視点,単に音楽史や楽典楽理,音楽美学の視点から語るのではなく,例えば政治経済や宗教と音楽との関係,文化人類学や社会全般と音楽との関係といった人文科学,生物の進化と音声コミュニケートの関係,認知心理学や人類史,脳科学と言った自然科学との関係,そして文学や絵画,映画や漫画など,他芸術文化との関係といった,幅広い視点から音楽を語ることのできる人間になりたいと思っている。

音楽は,端的に言えば空気の振動という物理現象。
絵画は,紙などに描かれた色彩と形態。
その現象がなぜ人の心を響かせるのか。
「音楽とは一体何だ?」
その,根本的にして本質的な疑問にとりつかれてしまった若者に,問いの答えにはならないまでも,考えるべき方向や視座といったものを提供できればいいと願う。

そして同時に,この頃,「背中を追いかけたくなる大人」が減っているように思えるが,私のつたない音楽論をいつか目にした若者から,「こんなふうに考えている大人もいるんだな」と思われる日が来れば,とても嬉しい。

「象」は印象,抽象,形象,現象,気象といったように姿形,様子,有様を表す言葉。
動物の「象」は柱のようだったり,長いひものようだったり,その形の抽象性,多様性から,「象」という文字が生まれてきたのだろう。

「音楽」という,一定の姿形を伴わないもの,物体として決して目には見えないもの,生まれては静寂の中に消えゆく存在性の希薄なもの。そして言葉では語り尽くしきれないもの,すなわち仮「象」。されど大きな存在感を持つものをとらえ伝えるのに「象」という語は何とも「象」徴的だ。

音楽,それ自体を言葉で語りきることは,おそらくできない。
言葉で表現しきれないものを表現するのが,それが音楽はじめ絵画,文芸など芸術の本質であり,役割だから。
しかし,言葉で語りきれないとしても,音楽の特徴や特性なら,言葉としてとらえ,そして自分にも他者にも伝えるように言葉として書き記せると思う。
そのためには,姿形にとどまらず,冒頭挙げたような多面的な切り口が多ければ多いほど真の姿に近づくことが出来るのだろう。

音楽を書く。
それは「象を書く」ことに似ている。

ちなみに
1年前(^^;)に記した,既にできている「構想編」はこちら
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1970006006&owner_id=19073951

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