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2019年03月18日18:32

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落ちていく音の星たち,そして椅子の高さ

ピアノを弾くマイミクさんと,ピアノの椅子の高さの話題になった。

椅子の高さは,姿勢やピアノの音と直接に影響する。
椅子が高いと,腕の位置が高くなり,鍵盤に指先がストンと落ちていく。
「打鍵」という言葉があるように,鍵盤を「打つ」のではなく,重力に任せるまま自然に「落とす」ことで,ピュアに澄んだ響きが得られる。
また,腕の重みを利用し,鍵盤に体重をかけることで,ずーんと響く力強い響きを得ることもできる。
そのようなメリットがある一方で,重力任せとなることから指先の微妙なタッチのコントロールが難しくなる。
また,椅子の高さは変わっても鍵盤の高さは変わらないから,自ずと猫背気味になりがちと,そんなデメリットもある。

椅子が低いと,指先の微妙なコントロールが可能となる一方,高い椅子のメリットであった,腕の重みを利用した力強い響きを得ることは困難になる。
また,やはり椅子の高さは変わっても鍵盤の高さは変わらないから,今度は腕や指の位置が低くなる分,運指を横方向に動かすとき,高い位置にある黒鍵に指先がぶつかるようになってしまう。

椅子の高さは,これが正解だというものはなく,自分の背の高さはもちろん,どのような演奏を目指すか?どのような姿勢で弾くか?によって千差万別だ。

マイミクさんも言っておられたが,自分なりのベストポイントを見つけるまでは,椅子を上げたり下げたり,乱高下状態となる(^^;;

私はと言えば,若い頃はあこがれのピアニスト(クラシックのグールド,ポピュラーの坂本龍一,ジャズのビル・エヴァンス)が全員そろいもそろって低かったことから,彼らの真似をして低めの位置だった。

しかし,ピアノオフ会で,私よりずっと小柄な女性が力強い響きを出していたこと,そして指先が重力の導くままストンと落ちたときの,あのピュアな響きが得られること。さらに,広い音域を早いパッセージで弾く際に,低い位置だと,どうしても指先が黒鍵に当たってしまうことから,椅子を高めの位置に変えて以来,ずっと長いことその位置を維持してきた。

そんな私だったが,冒頭のマイミクさんが,指導者を変えたところ「椅子を下げた方が,指先の微妙なコントロールが可能になる」とのご指摘をいただいたとのことから,私も下げてみた。
しかし,どこまで下げるか。それが問題だ。
あまり下げると前述の問題が出てくるし,下げないと下げた効果が出てこないので,微妙に下げてはまた上げたりの繰り返し,ベストポイントを見いだせず,乱高下状態(^^;

もともと,低い位置から微妙なタッチを繰り出すピアニストが好きなせいもあって,この頃,椅子が低い奏者の中で注目しているピアニストが,ヴァレリー・アファナシエフ。

彼の弾くシューベルト「3つのピアノ曲」。

椅子の座面の位置が,ひざの高さより低いことがわかる。

その鬼瓦ともナマハゲともつかぬ容姿からは,およそかけ離れた,羽毛のような極上のタッチから繰り出される澄んだ音は,発音されては消えゆく運命の一音一音の響きをいとおしむように磨き抜かれ,コントロールされ,まるで星のように輝く。

グールドのバッハ,フランソワのショパン,ミケランジェリのドビュッシーなど,作曲家の特質と,演奏家の特質がマッチしたときの,相乗効果をここにも見ることができる。
そこには,美しく朗々と流れる歌曲を残したシューベルトのおおらかさはない。
言葉巧みに,馬上の子どもを父親から引きずり下ろし,その命を奪おうとする「魔王」の作曲家シューベルト,志なかば,梅毒で若くして死んだ作曲家のダークサイドを容赦なく引き出す。

その演奏は,しばしば「ピアノで瞑想している」と評されるように,あまりに遅い。
あまりの遅さゆえ,放たれた音が,一定の形として,つまり複数の音の組み合わせからなる旋律,フレーズとして認識されない。
一音一音,それぞれが独立した存在となり,それぞれが一つの輝く星とはなるものの,星座の形を描くには至らない。

それぞれが独立した音は,やがてアファナシエフ,そしてシューベルトというブラックホールの暗黒に落ちていく。
放った音が,世界に広がらずに,暗闇の中へ中へと吸いこまれ,アファナシエフ自身の中に沈潜していく。

「人生の上っ面でぐずぐずするな。人生の深みへとどんどん突き進め。人生という海を潜るのだ。海面で泳いでいてはダメだ。潜れ,潜るのだ。そして,地球の中心,すなわち人生の核心,真実へたどり着くまで動きを止めるな」
〜アファナシエフ

すべての音が吸収されて,何もなくなったその後に残るものは,虚無でもニヒリズムでもなく,ただ「音が響いていた」という記憶のみ。

美しい音の響き,星の輝きが,消えゆくまでは確かにそこに存在していたという記憶,そして放たれては消えゆくしかない運命しか持ち得ない,はかない音の響き,星の輝きをいとおしむ痛切な哀惜の念。

「美はあのように脆く移ろいやすいのだ。これが見る者の心を打つ。我々はそれが美であるからこそ、束の間に滅び、消え去ることを知っている。時間的なものを冷酷な力で踏みにじってゆく運命は、美においてまず真に残酷な現れを見せるが、しかし詩人の言うように、運命に滅ぼされることこそ美の宿命なのだ。美は,矛盾のさなかに美しく保たれる」〜ゾルガー(美学者)

「美」は,一瞬ではかなく消えてしまうもの。
それだからこそ,価値あるもの。
美の価値,その価値は永遠には続かず,束の間に滅び、消え去ってしまうもの。
価値あるものが,永遠の価値を保ち得ず,瞬間で滅び消え去ってしまうものだからこそ価値があるという矛盾。
アファナシエフのシューベルトからは,このゾルガーの言葉を思い出さずにはいられない。

アファナシエフのこの演奏は,日本でのライブが録音されCDとなってリリースされているのだが,彼の演奏の特質をより際立たせているのが,その驚異的な音質の良さだ。
究極の自主制作:インディーズ・レーベルこと,若林工房の自主制作盤である。
著名な演奏家たちの日本公演のライブ盤を自主制作する,富山県に本拠を構えるインディーズレーベルが,並みいる大手レコードレーベルの録音を差し置いて,クラシック界で権威ある録音に与えられる「レコード芸術特選」を受賞することもしばしばだ。

若林工房が手がけるアファナシエフの録音も,そのほとんどが「レコード芸術特選」を受賞している。

鬼瓦の形相で,ナマハゲのごとく,すべての邪気を,音を,そのダークサイドに引き込み,落としこんでいくようなアファナシエフが,眼前に「魔王」のごとく君臨するかのようだ。

アファナシエフの繰り出す,まるでブラックホールに吸い込まれ,落ちていく音のように・・・,
椅子の高さも落ちていく。


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