親愛なるマイミクのみなさん。
あけまして,おめでとうございます(^^)
今年最初の日記は,今年の目標について。
一昨年から去年にかけての目標は「他人からの期待ではなく,自分自身の期待に応える」というものだった。
今年の目標は「自己流の罠に陥らず,自分の持ち味を活かす」ってことにしようと思っている。
去年の暮れあたりから,ピアノを弾く度に思っていたことがある。
私のピアノは,基本,独学。
独学でも,例えば姿勢,例えば脱力,例えば運指など,自分なりに色々試行錯誤しながらたどり着いた今のスタイルは,時間はかかっても,結局自分に合った方法なのだと思っている。
自分にとって弾きやすい弾き方を模索していったら,上半身の脱力と下半身の安定,背筋を伸ばした良い姿勢,音がブツ切りにならないレガートの運指など,誰に教わることなく自然とクラシックの奏法に近づいて行ったのは,なんとも不思議である。
しかしながら,やはり技術も腕も表現方法も,お世辞にも上手とは言えない(^^;)
いくら練習しても,やはり幼児期から正統な音楽教育を受けてきた弾き手には,遠く及ばない。
それは,悲しいが,受け入れなければならない事実だし,それを前提に,では自分にできることとは何だろう,と考えた。
そこでたどり着いたのが,「自己流の罠に陥らず,自分の持ち味を活かす」ってことである。
それこそが,他者にはない,自分にとっての何よりの「強み」になるのだと。
クラシックも,ジャズも,ポピュラーも,ジャンル無用で等しく音楽を愛好する私の持ち味と言えば,やはりジャンルにとらわれず,どんなジャンルの楽曲も,同じように聴き,そして弾くことができるということなのではないかと思う。
それは単に,よくありがちな,「クラシックもジャズ/ポピュラーのように,ノリで弾きこなす」といったようなものとは違う。
「ジャズの曲も,クラシック同様に,和声の響きを美しく表現する」,ということは,かなり近い感覚。
例えば坂本龍一の「戦メリ」を弾くと,いつしかドビュッシーの「月の光」を弾いているような気持ちになる。
でも,それだけじゃない。
私には,ラヴェルのピアノ曲と,ビル・エヴァンスのピアノ曲が,全く同じように聴こえる。
音楽を聴く耳のスイッチ,それを理解する頭のスイッチ,そしてそれをピアノで弾く時の腕のスイッチ,それぞれのスイッチを「クラシック/ポピュラー/ジャズ」に切り替える必要がないのだ。
それこそが,私の持ち味,私だけの強みと言えるものなのかも知れない。
例えばエヴァンスの,この曲”Time Remembered”と
https://www.youtube.com/watch?v=-jMymWD8bcE
ラヴェルのこの曲「ハイドンの名によるメヌエット」
https://www.youtube.com/watch?v=YyTQUByUAGI
ともに典雅で,洗練を極めたかのようなハーモニーと繊細なピアノ。
そして一瞬,どこに連れて行かれるのか分からなくなるコード進行の揺らぎ。
いずれ劣らぬ,典雅で美しい,小さなジュエルケースに大切に収められた宝石のような輝きを放つ楽曲たち。
まるで一卵性双生児のように聴こえるのだ。
音楽のジャンルごとに聴く/弾くスイッチを切り替える必要がない。
ジャンルごとに,「かくあるべし」ってガチガチな固定観念の枠にとらわれず,そこから自由でいられること。
それこそが私ならではの強みではないかと思う。
まるでラヴェルのように美しい輝きを放つビル・エヴァンスのピアノ。
そんなビル・エヴァンスのように美しい輝きを放つラヴェルのメヌエット。
・・・トートロジーかっ(^^;)
この「自己流の罠に陥らず,自分の持ち味を活かす」ってことは,単に音楽のみならず,例えば仕事などにも応用が利くものなのだろうとも思える。
単にわがままで人迷惑な「俺様ルール」に陥るのではなく,例えば人より早く出勤する代わりに,残業もしないってな具合に,自分に見合った働き方と生き方のワークライフバランス。
ってことで,今年の,そして生涯の目標について。
こうして日記でみなさまに公開&宣言した以上は,途中で投げ出すわけには行かないって,自分で自分を追い込む「背水の陣」状態(^^;)
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