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2019年08月22日22:21

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著書に込められた想い

■夜回り先生「もう、疲れました」サイト閉鎖へ 「何人が私の本を読んでくれているのか」――ネットで心配の声も
(キャリコネ - 08月22日 13:00)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=210&from=diary&id=5757669

愚考でしかないけれど、水谷さん、本音はもう少し頑張りたい気持ちもあるんじゃないかな?
ただ、これは自分も思ってた。こんなに著書を出して想いを伝えている中で、本に触れ、共感し、自身で生き方を考えられている人がどれだけ出てきただろうか。

もちろん、学校や家庭・地域・グループから追いやられた人、特に子どもが、考えたり本を読んだりする気力を奪われたパワーレスな状態にあることは分かる。
ただ、外に触れることがない中で評判を知り、「もしかしたら救ってくれるかも」と藁をもつかむ気持ちで電話する。最近は、もっと手軽なメールをする。
そこに、先生と先生を頼る人の間でコミュニケーションはない。

水谷さんの講演を聞くと、著書を読むよう話されていた。こんな気持ちで本を書いた、すごく辛い時もあったと話されていた。
私は高校時代、高友で"自分を語る"取り組みをやっていたけど、それをずっと続けてたようなものだと思う。

本を通して伝えたいことを見てもらえない。今まで関わってきた、たくさんの人との関係や想いを乗せたものを手にとってもらえず、自身の「都合」で一方的に話しかけてくる。
こういうことの連鎖に、疲れたんかな…。

ゆっくり養生してください、なんて言えない。
休むというのは、復帰することが前提。
先生には、無理が溜まり過ぎてると思う。

今まで続けてきたことを止めるのは、辛いと思う。しんどさを抱えて折れた自分を認めるのは、もっと辛いと思う。
それでも止めざるを得なかった先生は今、どんな想いなんやろ。

著書を通して水谷さんの相談を見ると、先生は決して具体的な指示はしていない。
「君はどうしたい?」「自殺すると私は悲しくなる」など、最低限越えないで欲しい一線を示す他は、相談者の気持ちを引き出すことに集中していると思う。
自身で生き方を考え、選び、歩んで欲しい気持ちを持ち続けていたんじゃないだろうか。

先生は、黒板にメッセージを書いている。前を向けずうつ伏せになるのは分かるけど、生徒として、質問する前に板書を見るのが授業の受け方だと思う。
私たちは自分の気持ちを言う以上に、先生の考えを聴いてきただろうか?改めて著書を読むことで、コミュニケーションが生まれると思う。
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