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2019年04月21日09:41

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さて。一体全体モラリティとは

も少し言ってしまうと道徳か。
日本語の方が伝わるかと思っても、逆に伝わりやしない。

道徳って何さ。

早速引いて見たら

『社会生活を営む上で、ひとりひとりが守るべき行為の規準(の総体)。自分の良心によって、善を行い悪を行わないこと。』(引用:google)
『人間が無意識の内に世の中に存在するものと認識している正邪・善悪の規範。個人の価値観に依存するが、多くの場合は個々人の道徳観に共通性や一致が見られる。社会性とも関わる。』(引用:wikipedia)
『社会の成員によって承認され,かつ実現される倫理的諸価値ないし規範の総体。その原理は,主観的内面的規制原理として,主体のうちに現れる自然的本能,自己保全の欲求,名誉欲,権力欲,所有欲などの利己的,本能的欲求と正義,真理,愛,誠実,信頼,平等,国益などの普遍的ないし社会的諸価値の対立あるいは現実と理想の相克を調整し,社会的成員にふさわしい行為を選択するようにしむける。さらに道徳は内面に深く関わるものとして実存の重要な構成契機となり,個人の世界観に重大な影響を及ぼす。ヘーゲルは個人的主観的な道徳性と習慣や法律として客観化された道徳すなわち人倫とを区別している』(引用:ブリタニカ国際大百科事典)

これらって、一番私の苦手とする形のないものですね。
そも『自分の良心によって』、『無意識の内に世の中に存在するものと認識している』、『社会の成員によって承認され,かつ実現される』という極めて曖昧かつ完全に共通認識を持つにいたるには困難を伴う内容となっている事が良くわかるものですね。

それが社会で問題になる訳ですわ。だって隣で話をしている人間の道徳と自分の道徳が同じじゃないからですよ。

近しいと錯覚する人間が集団生活を営む場所を見つけ、そこに移住していくための旅をする必要があるでしょう。
もしくはそう言う社会を構築できるように、権力を持つか。
もしくは、自らをそう言う道徳に溶かし込むことができるならば……あるいは。

ただ私の価値観であり行動規範となるプラグマティズムにおいてはあまり人間の道徳的観念は関係有りません。
だので、どこでもいつでも笑顔でそれを受け入れることができる、と解釈しています。
何処でも生活できるってことですね。
まあ、『気持ち良い』か『気分悪い』かで住みやすさが変わってくるでしょう。
面倒な場所で住みたくないでしょ、皆さん。
問題は私自身が彼らのモラリティに触れる虞があるってことでしょうか。ええ、それで逃げるように住居を変えることは考えておくべきでしょうね。

さてそう言う所謂プライベートな部分は問題にはなりませんね。それがモラリティでしょう。
しかし仕事では別ですね。特に大きな組織においてはモラリティは無用と私は思っています。ちょっとそれを考えてみたわけです。

ある業務において、明確に目的を明示し、与えられた役割をこなせないならば仕事をしていないことになります。
管理職は特にそうでしょう。80%しか言葉で伝わらないという『御託』は仕事では無用。
仕事においての業務伝達は100%になるよう完全な共通認識のもとで行うべきです。
つまり、言葉を使ってもすべて完全に定義されたものであり、互いの共通認識にずれがある場合は明確かつ具体的な『もの』でもって伝える。
それがプラグマティズムにおける『正しさ』であると思います。自分が何を考えて何を思っていても関係なくて、これだという現物で示せば言葉は不必要であると。

そう言う世界でのモラルってなにさ。
まあそう思った次第ですよ。
同じ仕事をするにしても信頼は不可欠かと思います。その際、『正しく業務を理解できている』という部分がもしかしたらモラルになるのかもしれません。
つまり、『理解しなければならない』。
理解に際しては手段を選ばない。そして、認識を共有することに貪欲でなければならない。
たとえそれが七面倒であったとしても。それが、仕事をする上での真摯な姿勢であり、信頼なのではないか。
そのために徹底することはあっても、それ以上は不要であろうと。

まあ何が言いたいかってと。

だから出来る・やる事を決めてさっさと仕事を終えて帰る。だらだら残業したりサービス残業なんぞもってのほかって奴です。
日本人に多い、「お前知ってるだろう」という思い込み、知らないくせに判らないものを何時間も頭ひねるのはブラック化の一途を辿るに過ぎません。

と思うんだけどなぁ。

なので私は無駄に残業するつもりはありません。させる気もありません。


話は変わりますが中田英寿さんは今六本木などで日本酒のプロデュースしているようですね。
あの方はやりたいことをやりたいようにしかやってこなかった、昔上司が言っていた『やりたい事をやる』タイプの人間だということが、テレビの取材で始めて知りました。

たまたまサッカーを見つけて、やりたかったからやっただけ。やめたのもサッカーだけやるために生まれたわけではないからという。

人間こう有るべきだなあと。
上司も言ってました。「やりたい人間の方が良い。何かになりたい人間ってのはなって終わってしまう。やりたい人間は、その目的のために立場を得て、物事を成す」と。
中田英寿さんは、まさにサッカーをやりたいだけやって変えましたね。
私も見習いたいと思います。
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