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2020年01月28日16:17

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狛犬渉猟File@素盞嗚神社

○File#545 素盞嗚神社
○所在地…広島県福山市新市町戸手1−1
○社格など…式内社(小社)、旧県社、備後国一宮(称)
○訪問日…令和元年12月27日
○歴史・由緒など…社伝によれば、天武天皇の治世であった7世紀頃(679年か?)の創建と伝える。のちに、神仏習合によって、仏教系の神である牛頭天王を祭神とするようになり、「早苗山天竜院天王寺」という真言系の別当寺が置かれ、「天王社」あるいは「祇園社」などと呼ばれるようになったようだ。しかし、明治初年の神仏分離により、別当僧は還俗して神官となり、祭神は本来の素盞嗚尊に改め、現在の社名に改称している。
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○社殿前の1対(通算813号)
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尾道界隈を中心に、広島には、ギョーカイで「広島玉乗り型」などと称される、「前脚を大きな玉にかけて後脚で立つ」という姿の狛犬が、広く分布しているのは知っていた。
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その「広島玉乗り」の典型のようなペアに、こちらに来ていきなり遭えたので、嬉しくなった♪
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両像とも、後脚をピンと張って、大きな玉にのしかかるようにしている。
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生年は、「明治四十二年」(阿形台座前面)、「七月吉日 □ 日建」(吽形台座前面)とあった。


○神門前の1対(通算814号)
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こちらは「広島玉乗り」ではなく、扇型の尻尾を持つ、浪速型(関西地方に多いタイプ)に近い造形のペア。
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生年は、「文政三年/夏五月 □ □」(吽形台座前面に紀年銘)と古く(※文政三=1820年)、そのキャリアに由来するのだろう、どことなく風格がある。
今回の遠征で、尾道界隈では12対の狛犬と出会ったのだが、いわゆる「広島玉乗り」のものは、いちばん古いもので、幕末の慶應二(1866)年生まれのモノ。逆に、それ以降に生まれた狛犬は、ひとつの例外を除いて全て「広島玉乗り」だった。
この結果を鑑み、あまりにサンプル数が少ないので確かなことは言えないが、「広島玉乗り」が流行り出したのは幕末以降なんじゃないか? と、現状ではそんな仮説を立てている。
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こちらには石工銘もあり、「尾道/窪田小兵衛/同/藤?原安兵衛」(阿形台座正面)と読めた。


○移築城門(中門)前の1対(通算815号)
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吽形側は、もともと玉に前脚をかけていたのが、その玉が失われてしまったのか? いわゆる”チンチン”のようなポーズで、後脚だけで立っている( ゚Д゚)
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一方の阿形は、同じ「玉乗り」でも、後脚を跳ね上げ、逆立ちのような体勢になって玉に乗っている( ゚Д゚)
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何ともダイナミックな、”動き”を感じることの出来るレアな1対である!
両像とも、足の裏を見ることが出来る狛犬なんて、そうそう居ないと思う(笑)。
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生年は、「昭和二年/七月建之」(両像台座背面に紀年銘)。
個性派のステキな狛犬だった♪
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