1月7日
ターニング・ポイントに立って
中途半端ではどこにも行き着けなかった。私たちは転機に立たされていた。私たちは思いきって神に保護と配慮を願った。
アルコホーリクス・アノニマス 85ページ
毎日私は何度もターニング・ポイントに立つ。成長に向かって進むのも、昔の習慣や酒浸りへの道を転げ落ちるのも、自分の行動や考え方次第で決まる。例えば、誰かを非難するよりも、良いところをほめようと心に決めたとき、ターニング・ポイントが何かの始まりになる。一人で決めてかかるのではなく、助けを求めようとしたときも、始まりである。
ターニング・ポイントが何かの終わりになることもある。いやになるような恨みや、自分が傷つくことになる利己主義を手放す必要性がはっきり見えてきたときがそうである。
多くの欠点が毎日のように私をそそのかす。だからこそ、それらの欠点に気付くチャンスが毎日私に訪れる。どういう形にせよ、性格上の欠点は毎日のように姿を現す。自分を責めること、怒り、逃げ、高慢、仕返しをしてやろうという気持ち、大物ぶった行動をとること・・・・・・。このような欠点をなくすための努力も、中途半端では実も結ばない。
神に完全に委ねながら助けを求めるとき、自分から変えてゆこうという気持ちが起きてくる。そして、変わってゆく。
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「今日を新たに」 2004年5月31日 翻訳改訂版発行
AA日本ゼネラルサービスオフィス(JSO)発行
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1月7日
おそらく私たちの誰にでも時には誘惑が訪れるだろう。そんなとき、私は自分自身にこう言おう。「私の人生は、この一杯を飲まないことにかかっているのだ。誰も、そして何事も、私に酒を飲ませることはできない!」その上、私は神に飲まないことを約束してしまった。神は私が飲むことを望まれないし、私も神との約束を破りたくない。私は飲む権利を放棄したのだから、飲む飲まないは、もう私が決める問題ではない。
二度と戻ることのない、心の底からの選択をしたか?
黙想
静けさの中に止まるとき、神の意志が私を訪れる。神の言葉は何時私の心に入り、止まったのかは分からない。日々の結果によってのみ、私はその事実を知ることができる。神の言葉は、私の心の中の秘密の場所で語られる。誘惑が私を襲うとき、秘密の場所のその言葉の価値が初めて知らされる。私が本当に必要なとき、私はその助けを見いだす。「隠れた中から与えられる神の力は、私を確かに助けて下さる」
祈り
私の存在に対するあなたの意志を知ることができますように。あなたが私に教えようとしておられることを、喜んで受け入れることができますように。
ホームカミング社 「一日二十四時間」より
※私の独り言※ 私も、ターニング・ポイントというのは1つの、または複数の大きな転機をもたらすもの、とだけとは考えていません。確かに、転機とはなりますが、小さなことでも後で考えたら大きな違いが生まれるものもあるのです。私は、何気なくAAを選択しました。もう一つの選択もありましたが、そのときはただ単にAAの方が年齢層も近いし、活気もあるし、と感じていただけです。でも今はそれが大きなターニング・ポイントとなって、私のソブラエティを形作ってくれている、AAにつながる決心をして良かった、と感じているのです。
自分には埋め合わせが必要なんだ、と感じたときもそうでした。自分とハイヤー・パワーとの関係が一応の解決を見て落ち着いたときもそうでした。今日一日の棚卸しをするのに、自分の欠点を見るだけではなく、今日一日の感謝を見ていこうとしたときもそうでした。苦しい思いをしたときには、努めて笑顔を作ろうとしたときもそうでした。1日にいくつ、というほど多くはないようですが、私のターニング・ポイントも、いくつもあります。それらのターニング・ポイントを大事にして、そこが転機となってくれた、と言えるようにしていけば、そこから自分の態度を改めていくチャンスが生まれるのです。
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山口、AA宇部グループ Mike(マイク)
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