8月22日
感情的な安定を求めて
さらに成長するにつれ、このような感情の安定の源泉として第一に考えられるのは、神そのものであることを知った。依存の相手が神の完全な正義、ゆるし、愛なら、それは健全であり、他のやり方が全部うまくいかなくても、神への依存は効果があることも分かった。心から神に依存するなら、仲間に対して自分が神を演じるようなことはできるわけがない。人の保護や世話に完全に頼り切る気持ちにもならないだろう。
12のステップと12の伝統 153-154ページ
生まれてからこの方、不安感から逃れるためにいつも誰かに依存してきたが、今の私はもう、そのような生き方をするわけにはいかない。神の恵みにより、人や場所や物事に対して無力であることを認めることができた。以前の私はまったくの「人間依存」だった。どこへ行こうと、そこには、私に関心を持ってくれる誰かが必要だった。そのような態度の行き着く先は、結局もっと悪い状態に陥るだけのことでしかなかった。他の人に強くもたれかかり、彼らの関心を引こうともがくほど、それはいっそう遠のいた。
そのような空白感を人間の力が満たしてくれるという思い込みは、もう捨てた。今もなお私はもろい人間なのだから、自分自身よりもこの素晴らしい原理を優先させるには、AAの12のステップを実践していく必要がある。心の底からの平和と感情的安定を私にもたらしてくれるものは、愛なる神をおいては存在しない。
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「今日を新たに」 2004年5月31日 翻訳改訂版発行
AA日本ゼネラルサービスオフィス(JSO)発行
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8月22日
“回復の道を歩めない人たちは、生まれつき自分自身に対して正直になれない人たちである。このような不幸な人たちもいるのだ。だから彼らが間違っているとは言えない。この人たちはそのように生まれついたと思われる。この人たちは徹底した正直さを必要とする生きる姿勢を知覚し、発展させていくことが本性的にできないのである。このような人々にとって、回復のチャンスは平均以下である。またひどい感情的、精神的不調和に苦しんでいる人たちもいる。しかし、このような人々の多くも、もし自分自身に正直になる能力を持ち合わせていれば回復できるのである。”
私は自分自身と他の人々に対して、徹底した正直さを持つよう努力しているか?
黙想
私は自分の過ち、失敗、喪失、苦しみを有効なものとすることができる。もし私が望めば、これらのマイナス要因から生み出される有効性は、そのマイナスの出来事よりも大きなこととなるであろう。自分の苦しみ、困難、逆境に建設的に取り組もう。そして同じような問題に直面して苦しんでいる他の人々への援助となるよう、このマイナス要因を有効に生かそう。苦しみと取り組むこのような姿勢からは、何か良いものが生まれてくる。そしてこのことが世の中をより良いものとしていくのだ。今日私が実践する良いことは、痛みや苦しみが去り、困難や問題が過ぎ去った後までも生き続けるだろう。
祈り
私の過ちと失敗を有効に使わせて下さい。私の痛みに満ちた経験から、善が生み出されますように。
ホームカミング社 「一日二十四時間」より
※私の独り言※ どのように表現しようと、「私はAAを信じます」という限り私たちにはしっかりとした基盤があると思います。もちろん、AAの中にはハイヤー・パワーや神、AAのプログラムなどが含まれているのが前提ですが。どこの時点でか、私たちのうちには信仰が生まれ、それがそれまで個人という極めて曖昧な存在を基礎としてきた従来の生き方に取って代わったはずです。そしてその生き方こそが、私たちをきちんと生きさせてくれる大本となったのです。
自分や誰か、環境などに頼る生き方は、私たちを不全にしたものであり、それがまた生き方の欠陥を招いたものだと言ってもいいでしょう。私はステップ3の「ドーナツの穴」という言葉が好きです。今まで穴など空いていないように一生懸命自我を詰め込んでいたものが、穴を開けてそこに神を据えることにした、そうしたらかえって、その穴のおかげで生きやすくなっていった、そういうことなのではないでしょうか。
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山口、AA宇部グループ Mike(マイク)
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