mixiユーザー(id:18559602)

2020年01月24日14:18

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ある日の予感について。

さっき、外を歩いていて、
サティを弾く女性が、なぜ、深くて、
ぼくには、とても美しく感じるのか、と、考えていたのだけれど、

女性は、サティを弾く時に、
キリスト教神秘主義的なサティに
手をひかれながら、
音楽のうちに、処女懐胎をするのでは
ないか、と、いう説が、
考えられたのだが、

サティを弾く、高橋アキさんも、クラーラ・ケルメンディさんも、やはり、深いサティなのだけれど、もしかしたら、神秘家祭祀の曲を
ピアノで弾くことによって、
処女懐胎している、かんじになって、
女性にとっての芸術への洗心は、
処女懐胎に通じるのでは、ないか、と、
思われました。

女性にとっての、今だ来ぬ、懐胎とは、
処女懐胎的な芸術女性学の中心と呼べそうな
いつまでも無垢なる可能性でいることが、
芸術への更新ではないか、と、思うわけでした。
そんな感じがします。

女性の美しさ、が、やはり、
処女性にあるのは、確かなように
思われます。女性にとっての美しさ、とは、ある意味で、無垢なる全体性であるかのような洗心の歴史の生まれ変わり過程を持続した、こころが
外に結実する懐胎を
どこかで未来化して生きているのではないか。そんなかんじがします。
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