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2016年11月28日11:38

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キューバ音楽との出会いの旅/クアルテート・ダイーダ、エレーナ・ブルケ、そして、オマーラ

2002年11月30日発行の「そんりさ」VOl.77に掲載した原稿です。
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『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』のコンセプトが、忘れ去られたキューバの老ミュージシャンたちの「(欧米社会における)再発見」であったとすれば、おそらくその唯一の例外が、キューバにおける現役最高の歌手(と、いいきってしまってもいい)オマーラ・ポルトゥオンドであるだろう。でもここで、オマーラについてのディスコグラフィーを書く気は、私にはサラサラ、ない。タワー・レコードやHMV等の大型CDショップの「ワールド」コーナーに行けば、オマーラのCDはどこでもたぶん十枚くらいは置いてあるだろうし、その中のライナーノーツや、その他一連の『ブエナ・ビスタ』本には、彼女の来歴などが詳しく、紹介されているからである。
オマーラ・ポルトゥオンドを語る時、絶対に忘れてはならない人物のひとりに、最近、残念ながら亡くなってしまったらしい、生涯、文字通りオマーラの好敵手であり続けたキューバ屈指の女性歌手、エレーナ・ブルケがいる。
オマーラとエレーナ・ブルケの出会いは、クアルテート・ダイーダという女性コーラス・グループでのこと。オマーラは一九三〇年生まれ、エレーナは一九二八年生まれで、ほぼ同世代である。クアルテート・ダイーダはまだ二十歳ソコソコのオマーラやエレーナたちのキュートなコーラスと、しかしながら、どんな歌でも確実に歌いこなせてしまう抜群の歌唱力とで、メキメキ、頭角を現し、革命前のキューバ・ショービジネス界の花形になった。
『NOCTURNO ANTILLANO』(ORFEON/CDL-16212)は、そのクアルテート・ダイーダ絶頂期の一九五七年に録音されたアルバムの復刻盤で、オマーラやエレーナの出発点を知ることの出来る、貴重な、そして格好の一枚である。
その後、一九六七年にソロのシンガーとなったオマーラは、ジャズの影響なども受けた「フィーリン」と呼ばれるキューバ・ポピュラーソングのムーブメントの中で、その才能を発揮し、やがて「フィーリンの恋人」(ズバリ、そういうタイトルのアルバムもある)などと呼ばれることになるが、オマーラ同様、ソロ活動を開始したエレーナもまた、フィーリンを得意分野とした。しかし、フィーリンの歌い手としての評価が固定するのを嫌い、実に様々なジャンルに果敢に挑戦するオマーラ(そこが彼女が器用貧乏ともいわれる所以)に対し、エレーナはその天性にして豊かな圧倒的な歌唱力を武器に、しっとりとしたスローなナンバーを朗々と歌い上げることに、ひたすらこだわり続けてきたように、私には思われる。
道は確実に、分かれ始めたのだ。オマーラはソンなどのキューバの伝統音楽から、ヌエバ・トローバやジャズなど、様々な音楽ジャンルをカバー出来る歌手として、革命後のキューバ音楽の文字通りの激動期をも自力で乗り切り(ただし、その彼女でも、八年近く新しいアルバムが出せなかった時期があったらしい)、常にキューバ、そしてラテン音楽のトップ・スターの座に君臨し続けたのに対し、エレーナの知名度はキューバの国外には、あまり広まったとはいい難い。
エレーナのおそらく最後のアルバムは、一九九五年に録音されたという『EN PERSONA』(EGREM/CD0394)である。これは実に、涙が出るほど素晴らしいアルバムである。まさにこれぞエレーナ・ブルケという、バックを極力抑えて、彼女の円熟の歌唱力のみをクローズアップしたつくり。私はCDが擦り切れるほど、聴いています。
その後、彼女の病気が伝えられたが、最近、届いた彼女の娘であるマレーナ・ブルケのCD紹介文には「故エレーナ・ブルケ」との表現があり、ショックだった。

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