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2016年11月23日10:27

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キューバ音楽との出会いの旅/イエレスエロ・ファミリー(その1)

2002年3月30日発行の「そんりさ」VOL.72に掲載した原稿です。
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ビエハ・トローバ・サンティアゲーラは、あのブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブに先行して、主にスペインや欧州で人気を集めた、キューバの老ミュージシャン五人によるソンのバンドである。なかでもメンバーのひとり、レイナルド・イエレスエロは、「レイ・カネイ」の名でも知られる超有名ミュージシャンであり、彼がその輝かしいキャリアをスタートさせたのが、キューバ音楽史に残る兄のロレンソ・イエレスエロとの兄弟デュオ、「ロス・コンパドレス」である。
レイナルド・イエレスエロは、ビエハ・トローバ・サンティアゲーラの二枚組アルバム『PURA TROVA』(INN110512)のブックレットの中で、ロス・コンパドレス結成の経緯について、次のように語っている。
「ロス・コンパドレスは偶然の産物だった。(兄の)ロレンソは三〇年もの間、マリーア・テレーサ・ベラのパートナーとして活動していたが、ある日。仕事の最中に意見の食い違いがあって、彼女が帰ってしまい、仕事を終えるための替わりの人間を捜さねばならなくなった。その時ロレンソは、前々からお互いをよく知っている遠縁のフランシスコ・レピラド(ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブでもお馴染みの、コンパイ・セグンドのこと)を掴まえることが出来た。(中略)仕事は難なく済み、結果は素晴らしいものとなった。そこでドゥオとして続けようということになり、ドゥオ・ロス・コンパドレスが生まれた。/私がロス・コンパドレスに加わったのはレコーディングのためだった。私は彼らのためにボンゴ、ベースからグイロイまで、何から何まで演奏した。一九五三年に彼らは別れることになり、私がコンパイの後釜として正式メンバーになった」(時橋実実訳)
ロス・コンパドレスの結成は一九四九年のことといわれており、一方、ロレンソ・イエレスエロとマリーア・テレーサ・ベラとのデュオは、彼女の晩年の一九六一年まで続いている。つまり、ロレンソ・イエレスエロはマリーア・テレーサ・ベラとのデュオと並行して、ロス・コンパドレスの活動を続けていたことになる。
ロス・コンパドレスは、トリオ・マタモロス等と並び、キューバ音楽史上に燦然と輝く男性ヴォーカル・デュオであり、その過去の音源のCD復刻も進んでいる。中でもお薦めなのが、アオラ・コーポレーションから発売されている国内盤の『黄金のデュオ/ロス・コンパドレス』(CRACD204)である。
このCDにはまだコンパイ・セグンドとロレンソのデュオであった初期の音源からの復刻五曲を含む全二一曲が、ほぼ年代順に収録されており、とりわけ最後の三曲中二曲は、一九七五年の日本公演の際の録音。最後の一曲は何と、彼らが日本公演中につくったという「BONIAT ASADO(焼きイモの歌)」である。曲中に、「石焼きイモ、いーし焼きイモ」「いらっしゃいませ、いらっしゃいませ」「どーもありがとう、どーもありがとう」などの石焼きイモ屋さんの呼び声を、達者な日本語で織り込んだこの曲は、イエレスエロ兄弟のよい意味でのサービス精神、根っからのエンターティナーぶりを知ることの出来る、何とも愉快な曲である。
ロレンソには、レイナルドの他にカリダ・イエレスエロという妹がいて、彼女もまた歌手で、もう二〇年ほど前のことらしいが、来日公演したこともあるという。
その彼女の二〇〇〇年に出た最新アルバムが『COMO YO QUERIA』(ECCD004)で、その中の一曲「VEINTE ANOS(最後のNには〜がつきます)」は弟レイナルドとのデュオである。(以下、続く)

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