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2016年11月21日01:45

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キューバ音楽との出会いの旅/マリーア・テレーサ・ベラ(その2)

2001年11月3日発行の「そんりさ」VOL.69に掲載した原稿の再録です。文中で紹介しているCDに関しては、現在、入手出来るかどううか、不明です。
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マリーア・テレーサ・ベラはキューバ音楽が(狭義の)トローバからソンへと大きく変わっていく時期に、その双方で活躍した歌手だといわれる。中村とうよう氏によれば、ソンとは「一九一〇年代にキューバ音楽の主流を占めるようになったダンス音楽」で、「サンティアーゴあたりで生まれた、スペインの要素の強い歌に黒人的な感覚のリズムを取り入れた音楽だったが、ハバナまで伝わって行くうちに、白人・黒人の両要素がうまくバランスした音楽として完成された」のだという。つまり、ソンとは白人文化と黒人文化の渾然一体化という、ある意味でもっともキューバらしい色や香りを持った音楽だ、ということが出来るのである。
初期のソンはギターにトレス(小型ギター)、ベース、それにボンゴ、マラカス、クラーベス(いずれも打楽器)の六つの楽器によって演奏されることが多く、これをセステート(六重奏)といった。その後、これにトランペットが加わって、セプテート(七重奏)の形を取るようになった。
ラファエル・セケイラと死別したのち、マリーア・テレーサ・ベラが結成したソンのグループが、セステート・オクシデンテである。この時代の録音は長く未復刻であったが、一九九七年にスペインのTUMBAOレーベルから『SEXTETO OCCIDENTE/YO NO TUMBAO CANA(Nは上に〜がつきます)』(TCD087)として発売され、実際に聴くことが出来るようになった。もっとも、彼女がオクシデンテに在籍したのはたった一年のことで、彼女が抜けたあとグループはイグナシオ・ピニェイロが中心となって、その名をセプテート・ナシオナールと変え、セステート(のちにセプテート)・アバネーロと並ぶ、キューバを代表するソンのグループになっていくことになる。
これはまったくの私見だが、オクシデンテ時代のマリーア・テレーサ・ベラは今一つ精彩に欠ける。ソンの興隆という時代の流れに対応して、オクシデンテを結成してみたはものの、根っからのトロバドーラである彼女には、そのソンのスタイルがどうもしっくりこなかったのではないか。オクシデンデ脱退後の彼女は再び、デュオという以前のトローバのスタイルに戻り、ロレンソ・イエレスエロとのコンビで、一九三五年から晩年の一九六一年まで、音楽活動を続けていくことになる。
前号で紹介した『キューバ、いにしえの歌』は、彼女がイエレスエロとのデュオで録音した一九五〇年代後半のものち、おそらくは最後の録音である一九六一年の音源から二五曲を収録しており、キューバ音楽の先駆者としての彼女の偉大さを知ることの出来る数少ない名盤のひとつであったが、残念ながら今は廃盤になってしまった。
もう一枚、彼女とイエレスエロのデュオのアルバムとしては、一九五六年録音の『伝説のマリア・テレサ・ベラ』(BOM115)があったが、こちらも現在ではやはり廃盤になっている。最近出た『マリーア・テレーサ・ベラ/リバイバル』(OMCX1066)は、文字通り、このアルバムのリメイク盤である。具体的にいうとふたりの上の上に、最新のデジタル技術で現代的な演奏をかぶせたもので、オリジナルな録音とはまったくの別物である。こうしたアルバムの作り方には疑問があるが、オリジナルのものが入手出来ない現状では、「このような形であれマリーア・テレーサ・ベラとその相棒であるロレンソ・イエレスエロの歌声のすはばらしさの片鱗にふれることができるのは大いに意義のあること」(高橋政資氏によるライナーノーツ)なのかもしれない。
『マリーア・テレーサ・ベラを歌う』(CD0366)という、ロレンソ・イエレスエロが中心になったトリオ・ベインテ・アーニョスによるアルバム(輸入元はアオラ・コーポレーション)もある。

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