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2021年07月21日22:13

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ベルの歌声に感銘できる人には傑作/【半分くらいネタバレ】映画『竜とそばかすの姫』

■【映画ランキング】『竜とそばかすの姫』オープニング興収8億9000万円超で初登場首位!
(クランクイン! - 2021年07月20日 13:41)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=100&from=diary&id=6598684

■「竜とそばかすの姫」など細田守監督作の資料を展示、「辿り着くまでの軌跡展」開催
(コミックナタリー - 2021年07月18日 11:21)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=86&from=diary&id=6596193

■「竜とそばかすの姫」カンヌ映画祭内でワールドプレミア実施 日本公開に先駆け、14分のスタンディングオベーション
(アニメ!アニメ! - 2021年07月16日 21:21)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=50&from=diary&id=6594828

 カンヌ国際映画祭でのスタンディング・オベーションは必ず起きるので(苦笑)、あまり真剣には受け取らない方がいいだろう。
 映画全体の感想を言う前に、これからご覧になる方に、まずはお伝えしなければならないことがある。
 子どもの頃に、親から虐待を受けた経験がある方には、正直、この映画はお勧めできない。そういうシーンが結構あって、胸が痛くなるからだ。
 しかも、それが案外簡単に――と言うか、安易に解決してしまうのだよね。はっきり言って、拍子抜け。シラケた。所詮、アニメは虚構だ。そう観客に思わせてしまった点では、本作はやはり失敗作だと言わざるを得ない。
 細田監督は、作中の子どもたちがつらいままではよくないと、ハッピーエンドを目指したのだと思う。しかし、いささかご都合主義に過ぎるのでは、観客は共感するものではない。これは、細田監督が映画の骨法を知っているのかどうかってこと以前に、「いじめ」とか「虐待」を、まだまだ観念的にしか理解はしていないからだとしか思えない。それくらい、子どもたちはあっさりと救われてしまうのだ。――そんなに物事、巧く行くものじゃないよ。もっと「現実」と対峙してほしい。安易な結末は、かえって虐待されている子どもたちから希望を奪う可能性だってあるんだから。
 考えてみれば、『サマーウォーズ』以降の細田守監督作品の結末は全て「安易な(そして無理やりの)ハッピーエンド」ばっかりだったなあ。『時をかける少女』が未だに細田監督の一番の傑作だと思えるのは、あれがハッピーエンドじゃないからだろう(原作、筒井康隆だしね)。

 優れた部分はもちろんある。まずは設定。物語の下敷きにディズニー版『美女と野獣』があるのは誰にでも分かる。けれども、今回、姿を変えたのは「野獣」だけではない。「美女」の方も、その正体はごく普通の、顔はそばかすだらけの冴えない女子高生・すず(中村佳穂)だ。彼女は仮想世界「U」の中でだけ、歌姫「ベル」として自由に歌い、世界中の注目を浴びることが出来る。
 つまり本作の「美女と野獣」は同じ「ニセモノ」である。どちらかがどちらかを救うという上下の関係にはない。相手に対して対等に「ウソツキ」なのだ。
 これはディズニーに対する細田監督なりのアンチテーゼだ。ディズニー版『美女と野獣』のベルは、結局は「人間」であって、「野獣」をそのまま愛するわけではない。「野獣」もまた「人間」に戻らなければ愛の対象とはなり得ない。二人の愛は「美女」の忖度ひとつでどうにでもなるものだ。
 ディズニー版を見ていた細田監督は、恐らくこう考えたのではないか。どうしてベルは「野獣のままで元に戻れなくてもあなたを愛します」と言わなかったのかと。人間に戻った王子に微笑むベルを見て、釈然としないものを感じたのではないか。
 ベルもまた、野獣と同じく、「見せかけ」の姿であったならどうなるか。野獣の皮を被らなければならなかった、その「人物」の想いに、真実共感できる存在になり得るのではないか。インターネットの世界なら、こういう設定が可能になる。細田監督が、再びネット世界を舞台にした意図は、この点にあったのだと思う。

 仮想世界のベルとしてなら、すずは「本当の自分」になれる。「本物の自分」は極度のストレスから歌を歌うことが出来ないが、「ニセモノの自分」になったときに、初めて「自由」になれたのだ。
 この「皮肉」な設定、しかしそれは「現実に」インターネットを利用しているユーザー全員が共感できる設定ではないだろうか。インターネットが取り沙汰されるときにしばしば批判の対象になる「匿名性」、匿名の影に本当の自分を隠し、発言する言葉は現実の自分とは全く正反対であったりもする――。
 細田監督は、その匿名性を決して否定はしない。確かに、すずは竜を救うために、真実の自分を晒すことになる。しかしクライマックスではやはり「ベル」の姿を纏って、歌を竜の元に届けようとする。それは、ニセモノの「竜」の姿でいなければ「抵抗」することも叶わなかった「彼」に共感したからに他ならない。
 ニセモノの口が開いて、ホンモノの歌が流れる。それが本作の最大の魅力になっている。

 だからなおのこと、話が収まるところに収まってしまうラストにはガッカリしてしまうのだ。前作『未来のミライ』ほどにはとっちらかってもいないが、カタルシスの作り方が分かってないような結末を見て、多分、多くの細田守ファンが「奥寺佐子さんにリライトしてもらえよ」と感じたのではなかろうか。
 それでも『未来のミライ』よりはよっぽど「映画」にはなっているから、もう細田作品は無理して観なくていいや、と見限らなくてもいいとは思うのである。何より、中村佳穂という逸材を発掘したことは、賞賛しても仕切れない。彼女の歌声が、本作の全ての欠点を補って余りある。
 もっとも、それも個人の主観じゃないの? と言われたら、確かに人の好き好きかもね、としか言えないのではあるが。




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