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2020年08月06日20:56

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祈念の日に

■もし原爆の日にSNSがあったら――NHK広島、実在する日記から当時の様子をTwitterで発信
(ITmedia NEWS - 2020年08月06日 16:43)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=32&from=diary&id=6185225

■ハトがいない平和式典、参列は大幅減 コロナで風景一変
(朝日新聞デジタル - 08月06日 12:06)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=6184877

●シュン@ひろしまタイムライン@nhk_1945shun
https://twitter.com/nhk_1945shun
●一郎@ひろしまタイムライン@nhk_1945ichiro
https://twitter.com/nhk_1945shun
●やすこ@ひろしまタイムライン@nhk_1945yasuko
https://twitter.com/nhk_1945yasuko

「顔が崩れている…目も鼻も崩れている
人、じゃない、あんなふうにはならない
人の形をしているが…」

「目の前の交差点に、焼けていない死体が並んでいる
水原君はいないかと近づく。「磯崎芳子」の名札。
最近入社したタイピストの女性だ。
可愛らしいと評判だった顔は目の下から顎にかけてぱっくりと切れ、奥歯が覗いている。」

「南の空が…廣島の街が燃えている
すさまじい炎
燃えてる竜が、のたうちまわっているかのよう」


 NHK広島放送局のTwitter「1945ひろしまタイムライン」、フォローしていたわけではなかったが、フォロワーさんの何人かがリツイートしていたので、ほぼリアルタイムで読んだ。
 SNS時代ならではの企画である。戦時中であってもごく普通の日常を送っていた人々が、突然の惨劇に襲われる不条理、これまでにもドキュメンタリー番組や映画などで描かれてきたことではあるが、このTwitterによる訴求力、伝播力、破壊力は、ちょっと類例がないのではないか。臨場感というか、本当にそこに彼らがいて、今まさに、その惨劇のさなかにいる、それを我々が知らされている、そんな印象を受けるのだ。
 コメントで「悪趣味」という批判が起きるのも、心情的には理解できる。彼らの身に、何が起きたのか、我々は既に知っている。知っていて、どうすることも出来ない。速く逃げて、と言ったところで、その声は彼らには届かない。電車が来なくてやきもきしている様子を知っても、救援を求めるラジオの悲痛な声が聞こえても、何も答えてあげられない。目の前で苦しんでいる人々を、子どもたちを、救ってあげることなど出来ないのだ。
 こんな無力感、絶望感もない。
 『はだしのゲン』のような原爆の悲惨を描いた漫画を読んだときでも、ここまで胸を締め付けられたことはなかった。それはおそらく、Twitterによって届けられる言葉が、まさしく「つぶやき」のみであるせいだろう。他の一切の情報が除外された、生の叫び、それだけだから、それ以外の「見えない惨劇の情景」が我々の心の中に入り込んで、不安で、恐怖で、憤怒と怨念で満たしてしまうのだ。

 毎年、8月6日、9日に行われる平和祈念式典の報を聞くたびに、空しさに襲われてきた。時を戻すことが出来ないこと、たとえ戻せたとしても戦争を回避することなど出来なかっただろうこと、今現在、世界から核兵器も戦争もなくすことが出来ないこと、そしてそれは未来においても変わらないであろうこと、平和を「祈る」ことしかできない人々の姿を見るにつけ、そうした「現実」を突きつけられる虚無感に苛まれるのである。
 黙祷は捧げるよ、でもそこまでだ。戦没者に向かって、不戦を、平和を誓っても、守れる保障なんて何もない。核兵器禁止条約の批准すらできないのに、戦没者たちの墓に何を捧げられるというのだろうか。

 改憲を求めるネトウヨの声も小さくはない。軍隊を、核兵器を持てば、また戦争をしても勝てると思い込んでいる。仮に勝てたとしても、そこに至るまでに国土にどれほどの被害をもたらすことになるか、また、自分がその戦争で出兵することになるとは微塵も想像せずに。
 「戦争が出来るようになれば万事解決する」というのは、具体性に乏しい希望的観測、むしろ「妄想」に近いと言った方がいい。その妄想が、かつての日本を敗戦に追い込んだ事実を忘れているのだろうか。あの大ヒット映画の、例のセリフを思い出してほしい。
「大臣、先の戦争では旧日本軍の希望的観測、机上の空論、こうあってほしいという発想などにしがみついたために、国民に300万人以上の犠牲者が出ています。根拠のない楽観は禁物です」
 まともな保守や右翼(パヨクではなく)が、彼らネトウヨの妄想と言って悪ければ、「認知の歪み」を是正できないことも、絶望感を抱かせる原因の一つになっている。
 「物量において劣る=勝てない」って状況は、戦前も今も変わってないってことが理解できないのかな? その程度のお花畑な頭で、祈念式典を馬鹿にするような発言を繰り返すから、こいつら使って戦争やっても勝てるわきゃねえと諦観するしかないのである。

 皮肉なことだが、新型コロナの世界的な流行は、国家間の戦争の火種を消すことに寄与しているように感じる。アメリカと中国との緊張関係は弥増しているが、「今はそれどころではない」という事情で、決定的な衝突に至る寸前で何とか踏みとどまっているのかもしれない。
 ネトウヨは自分たちのお花畑願望を棚に上げて、国家同士の「連帯」を机上の空論と揶揄し、せせら笑うが、未曾有のコロナ禍の中で、それが可能になれば、不幸中の幸いと言えるようになるのかもしれない。
 それこそ「希望的観測」に過ぎるかもしれないけれど。
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