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2020年07月30日21:50

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安楽死を優生思想の実現に利用する「医師」たち

■早急議論に警鐘=「安楽死」めぐり専門家
(時事通信社 - 07月30日 07:30)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=6175917

■「私は生き抜く」=ALS患者、受け止めさまざま―逮捕1週間・医師嘱託殺人
(時事通信社 - 07月30日 07:30)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=6175919

■死望む裏に苦痛、寄り添い支援を ALS協会など見解
(朝日新聞デジタル - 07月29日 08:14)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=6174574

■ALS 患者殺害の容疑者を石原慎太郎が差別丸出しで擁護! 松井市長ら維新も優生思想を批判せず“医療費削減の安楽死”推進に利用
(リテラ - 07月28日 23:40)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=209&from=diary&id=6174356

■容疑の医師 報酬前提やり取り
(毎日新聞 - 2020年07月27日 11:30)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=6172109

 議論を議論をって、中心になってうるさく言ってるのって、みんなネトウヨさんなんだよね。優生思想の持ち主の。石原慎太郎がボケ爺いなのは、障碍者や高齢者を不必要とするその思想に真っ先に当てはまるのが自分自身だってことに気づいてないことだが、ネトウヨさんたちも同様で、いずれ自分たちも排除される側に廻るんだってことを理解していないんだよな。

 安楽死・尊厳死は果たして許されるのかって問題は、それこそ森鴎外『高瀬舟』の時代から論議され続けていることだ。法的には決着はとっくの昔に付いている。安楽死が認められた例はただの一件もない。現行法でも、医師が死を望む患者を故意に死なせれば、刑法第202条に照らして自殺関与・同意殺人罪に問われる。たとえそれが患者の同意の下に行われようと、医師の罪が軽減されることはないのだ。そこに「情状酌量」が入り込む余地はない。
 なぜこの安楽死否定の規定に揺るぎがないかと言うと、今回の事件が端的にその理由を説明している。今回の事件は、容疑者の大久保愉一・山本直樹の両人が「優生思想」に基づいて、自分たちが「社会に不必要」だと断じた患者を殺害したことが、彼らのブログの書き込みによって判明している。「殺害依頼」の報酬に拘ったのも、目的が患者への同情からではないことの傍証となるだろう。
 すなわちこれは、四年前に相模原の「津久井やまゆり園」で入居者19人を殺害した植松聖被告と全く同じ動機による事件なのだ。
 しかし、もしも大久保・山本が「患者があまりにも哀れだったら」とか「死なせてあげるのが慈悲だ」とか言い訳をしたら、罪が軽くなるのか。そうウソをついたとしても、それを偽証だと証明できなければ情状酌量されてしまうのか。
 たとえ、いかに患者が自分の死を望もうと、それは絶望がもたらした錯誤であって、冷静な判断に基づいたものではない。それを口実に殺人を行うことに、情状を見出すのは誤りである。嘱託殺人は等しく同意殺人罪として裁かれなければならない。それ以外の判断はあり得ないのだ。

 法的には結論が出てしまっている安楽死の問題が、なぜ何度も問題にされ、実際に事件も起きてしまうのか。それは、これがしばしば法律論を離れた道徳論・哲学論として語られてしまうからだ。「治癒の見込みのない患者を楽に死なせることは果たして悪なのか」という命題自体には正解というものがない。映画でも『終の信託』など、医師に罪はあるのかを問うた作品があるが、この問題をどこまで真剣に考察したのだろうと疑問を抱かざるを得ない。たいていは医師の良心に基づく行為であるように描いたものが殆どだからである。周防正行監督は、果たして今回の事件をどう観ているだろうか。
 被害者と同じALS患者の方々が、今回の事件を知って、被害者の心情に共感を覚えながらも「自分は死を選ばない」と言い切るその言葉にも思いをいたす必要があるだろう。どんなに苦しくても、同じく病気と闘っている人々に希望を持ってもらうためには、自分が絶望するわけにはいかないという強い思いだ。
 その思いが、被害者にもあったなら、とは思う。個々人の思いの違いだから、それはどうしようもないと言われればそれまでだ。しかし、被害者は、自分の「絶望」という心の隙間に犯人たちが入り込み、歪んだ思想を実行しようとしていただけだということに気づいていただろうか。彼女は、犯人たちの優生思想にまんまと利用されてしまった。それが残念でならない。

 相模原障碍者施設殺傷事件の時も、ネットには植松被告への共感を示す書き込みが氾濫した。障碍者・高齢者を「邪魔者」と見なし、排除しようという考えは、決して一部だけの少数意見ではない。今後も同様の事件が続発する可能性は皆無ではないのだ。
 安易な同情論で、安楽死を認めてもいいような発言をすれば、優生思想を全面的に肯定した戦前のナチス・ドイツと同じ轍を踏むことになる。安楽死を哲学として論議するならば、それだけは何としても避けなければならない命題だと思うのである。
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