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2020年05月29日22:35

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番組が終わっても、中傷者はほくそ笑んでいる

■山里亮太、木村花さん訃報に後悔の念「一生かけて考え続ける」 誹謗中傷への自分なりの対策を語る【主な発言掲載】
(ORICON NEWS - 2020年05月28日 01:33)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=54&from=diary&id=6098127

■ネットの誹謗中傷、発信者特定までのハードル 被害者がなやむ「時間とお金」どう解決する?
(弁護士ドットコム - 05月28日 08:51)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=149&from=diary&id=6098335

■「『テラスハウス』にヤラセはないと思う」小倉智昭の発言に失笑!「あれをリアルだと思ってんの?」「フジテレビだから庇うのか」と反感の声
(日刊サイゾー - 2020年05月29日 10:02)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=53&from=diary&id=6099797

■『テラハ』制作&配信中止を発表「この度のことを重く受け止め」
(ORICON NEWS - 2020年05月27日 20:05)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=54&from=diary&id=6097888

■木村花さんの死の責任はSNS 以前にフジ『テラスハウス』にある! フジのリアリティショーでは過去にも自殺者が
(リテラ - 05月27日 17:50)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=209&from=diary&id=6097667

 木村花さんの逝去について、一番「責任」があるのは、もちろんSNSで誹謗中傷を浴びせたネットユーザーたちだろう。だからこそ、これからも起こりうるネット中傷の問題について、どのように対処していけばよいかが論議されているのだ。
 ところがこの数日、その論議の方向性がいささか妙な方向に歪められつつある。全ては「テラスハウス」を制作したフジテレビ、もしくはSNSでの投稿を煽った山里亮太ら番組コメンテーターたちが悪い、というものだ。
 つまりは「誹謗中傷をした者は番組に騙されて踊らされた被害者」であって、責任はない、という論調である。リアリティーショーのあり方に異議を唱える意見が出ること自体はおかしくはないが、全ての責任を番組におっかぶせるこの意見も、相当におかしくはないか。じゃあ誹謗中傷した者は何一つ、責任を負わなくていいというのだろうか。

 そもそもこの手のリアリティー番組は、送り手も受け手もお互いに、「これはノンフィクションっぽく見せかけたショー」だという暗黙の了解に基づいて成立しているものである。台本はないが演出と編集はあるというのは前提事項で、ドキュメンタリー番組とは根本的なありようが違っている。ドキュメンタリーにも演出はあるが、リアリティーとはあくまで「現実味」のことであって、リアリティー番組は俳優が演じるドラマ同様、基本は「フィクション」なのだ。ドラマと違うのは、キャストが演じている役柄が「生の自分」をベースにしているという点だけである。
 だからリアリティー番組には基本的に「ヤラセ」は存在しない。番組自体が演出によって作られているヤラセなんだから、当然のことだ。ドラマをヤラセじゃないかと批判する人がいないのと同じだ(小倉智昭はその意味で「ヤラセじゃない」と言っているのではないらしいのでただのバカだが)。

 リアリティー番組に一番近いのはプロレスだろう。あれをガチバトルだと思って見ているファンは、子どもならともかく、大人では皆無だろう。レスラーそれぞれのキャラクターは設定されているし、大雑把な台本に勝敗も予め決められている。しかし、野球や相撲のように八百長が取り沙汰されることがないのは、勝敗よりもリングで繰り広げられるショーアップされたファイトに観客が魅了されるからだ。試合の展開は決められていても、はじける筋肉、きしむ骨、飛び散る血と汗は本物だからだ。ファンはみな、フィクションの中のリアルに熱狂しているのだ。
 木村花さんはプロレスラーだ。『テラスハウス』の撮影も、プロレスと同様、ショーとして臨んでいたことは想像に難くない。誹謗中傷を受けるのも、「悪役」レスラーとしては想定内だったろう。番組がSNS投稿を煽っていたのも、悪役レスラーへのヤジを煽るのと同じで、番組を盛り上げる手段の一つでしかない。
 だから、本当なら、こんな悲しい事件は起こるとは思えなかった。実際、『テラスハウス』以前にも、リアリティー番組は数多く制作されてきたが、死者が出る事態にまでは至っていない(海外のリアリティー番組で自殺者が出るようになったのも、近年のことである)。

 ではなぜ、こんな不幸な事件が起きてしまったのか、木村さんへの誹謗中傷が「想定を超えるものだった」と判断せざるを得ない。殆どの投稿が削除されてしまっているので、今さら確認するすべはないが、各記事にあるような「死ね」とか「気持ち悪い」程度のものではなかったであろうことは予測がつく。SNSの「過激化」が最大の原因であることは論を待たないのだ。
 それを、「番組のみ」に責任を負わせようとする卑劣さには、憤りを禁じ得ない。殺人犯の自己弁護と何ら変わるところがない。彼らは、木村さんを死に追い込んだときと全く同じメンタルで番組批判を行っていることに無自覚なのだ。

 中傷者たちの根性が、ここまで下劣かつ愚劣なレベルにまで落ちていれば、政治家が「表現規制を」と言い出すのは目に見えている。実際、高市早苗や三原じゅん子も同様の発言をして、法による規制を検討し始めているが、これが「個人への中傷」の規制に留まりそうにないことも予想の範囲内だ。本当に彼らが規制したいのは「政権への批判」なんだからね。実際、三原じゅん子はTwitterで「安倍首相への中傷は許せん」と呟くネトウヨの反応に、賛同を示しているしね。
 「政権批判と誹謗中傷をいっしょくたにするな」という批判が功を奏しないことは以前の日記にも書いた。政権擁護の立場からは両者はまさしく「いっしょくた」であって、区別できるものではないからである。
 木村花さんの死が、政権批判を封殺する手段に利用されてはならない。彼女を救えなかったのは、法の整備が行き届いていなかったせいではない。彼女の苦悩を思いやることができなかった、一人一人の心のありようの問題なのだ。

 フジテレビと番組スタッフ、キャストやコメンテーターたちに責任があるとすれば、番組を作ったことではなく、木村さんの苦しみに気づいてやれなかったこと、彼女の心に寄り添ってあげられなかったこと、その点にあると思う。
 誹謗中傷も言論である以上、それを規制することはできない。ならば、傷ついた人々を守るための言論を、私たちは重ねていかなければならないのだと思う。「あなたは一人ではない」と。
 

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