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2020年05月25日23:22

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木村花さんの死が喚起した憎しみの連鎖

■木村花さん宅に遺書=警視庁、自殺とみて捜査
(時事通信社 - 05月25日 16:31)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=6094842

■『テラハ』出演の木村花さんが死去 22歳 所属のスターダムが発表
(ORICON NEWS - 2020年05月23日 13:43)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=54&from=diary&id=6092727

■「テラスハウス」木村花さん死去 絶えない誹謗中傷に著名人が悲痛な訴え「芸能人だって1人の人間」
(モデルプレス - 2020年05月23日 18:24)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=137&from=diary&id=6092993

■止まらぬSNSの中傷…今度はきゃりーに非難「ますます地獄に」
(web女性自身 - 2020年05月24日 16:41)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=145&from=diary&id=6093738

■木村花さん ネット中傷に法整備求める声「道徳ではもう限界」
(web女性自身 - 2020年05月25日 11:01)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=145&from=diary&id=6094347

 気が重い。
 『テラスハウス』は映画版も観たことはなかったので、木村花さんが出演し始めた回から少しだけ見始めた(非難の原因となった直近の回は配信停止になったようである)。
 SNSでの誹謗中傷は今に始まったことではなく、番組出演以前から、木村さんのSNSに寄せられていたらしい。木村さんがインドネシア人と日本人とのハーフであったということで、人種差別、民族差別的な意味合いもあったようだ。番組内でも、木村さん自身が以前からヘイトを受けていたことをチラリと語っていらっしゃった。
 今回の事件、根が深いよ。除草したって、どうせすぐにまた生えてくる。

 死因の公式発表は現時点ではまだない。どうやら硫化水素による自殺であるらしい。遺書らしきメモもあったということだ。捜査が進展しても、果たして真相が全て明らかになるのかどうかは疑わしい。
 硫化水素の発生実験は、中学の理科授業でも頻繁に行われているから、材料さえ揃えれば、一般人でも簡単に発生させられる。多分、木村さんも、それらをどこぞで入手したのだろう。SNSの規制が叫ばれているが、材料販売の規制の方こそ厳密にできないものかと思う。

 彼女を自死に追いやった原因は何だったのか。InstagramやTwitterで、彼女に寄せられたと言われる誹謗中傷も探してみた。しかし、その殆どがアカウントごと軒並み削除されていて、閲覧することができない。
 だからこれから書くことは基本的に「憶測」の域を出るものではないが――。
 単に彼女の行為を責め立てるものばかりではなく、その出自に絡めてヘイトを投げつけた発言も少なくなかったのではないか。
 本人の思想や言動に関しての非難なら、まだ逃げ道はある。けれども出自を蔑まれたら、どこにも逃げ場はない。これまでにも、追い詰められて亡くなった被害者は枚挙に暇がないが、そうした事件が起きるたびに、批判は加害者とされる中傷者に集中した。なのに、また同様の事件が起きた。そして、おそらくはこれからも起き続ける。
 やりきれない。

 削除された中傷者のアカウントには、彼らに対する批判のコメントだけが残されている。しかしこれもまた私の気を重くさせる原因になっている。
 木村さんを追い込んだとされる「気持ち悪い」とか「死ね」といった中傷と、同様の言葉が羅列されているからだ。「死ね」「人殺し」――これは、人を死に追いやった者は、死をもって償えということなのか? それは単に憎しみの連鎖を永遠に続けさせる不毛な行為に過ぎないのではないか?
 中傷者を批判する人々は、中傷者は自分の言葉が誰かを死に追いやることを想像する力に欠けていると言うが――それはその批判者も同じではないのか?
 批判と中傷は違う、たとえば安倍政権を批判するのと個人を中傷することを一緒にできるのか、という指摘はその通りだと思う。だがその「批判と中傷」の境界線が曖昧なのもまた事実だ。もしも安倍首相が自殺したら、彼への批判は中傷だったと見なされるだろう。
 実際に、ネットでは単なる政権批判とは言えない中傷だって決して少なくはない。本人は客観的な批判のつもりであっても、そこに政権への批判以上の「憎しみ」が介在していることを完全に否定できる人間がいるだろうか。自身の発言が、感情的な中傷と同一視される可能性まで考えている人がどれだけいるだろうか。

 眼には眼を――死には死を、というハムラビ法典の教義は、近代法治国家が最初に否定した民主主義の根幹である。木村さんを死に至らしめた原因が誹謗中傷にあったと断定されたとしても、彼らを死刑にすることはできない。せいぜい、名誉毀損で罰金刑に問うのが関の山だろう。私には、その因果応報に至らない現実に対するもどかしさが、中傷者への憎悪を増幅させているように見える。
 しかし、その憎しみをSNSにぶつける行為が、中傷者の行為と同質のものだということに気づいている人々がどれだけいるのだろうか?

 憎しみの連鎖は、どこまでも止まることがない。
 木村さんを中傷したネットの悪意を批判したきゃりーぱみゅぱみゅに「お前が言うな」の批判が集中し、それを批判した町山智浩にまた非難の声が寄せられ、それがまた――。木村さんの死から数日しか経っていないのに、もう途切れることのない罵り合いが続いている。こうなってしまってはもはや「誰が正しいか」を問うだけ詮無い。
 中傷者も自分が間違っているとは露ほども思っていないが、彼らへの批判・糾弾者も、自らの正義を全く疑いもしない。自分の言葉が誰かを傷つけ殺すことになる可能性があるとは思っていないのだ。気がついていたとしても、そこからあえて目を逸らし続けている。私にはそうとしか見えない。
 それは、誰もがみんな、「正義中毒」に陥っているからなのだ。木村さんへの中傷も正義、その中傷者への非難も正義、正義と正義とがぶつかり合っているのだから、どちらかが折れるはずがない。
 心情的にはやはり中傷者への怒りを抑えきれないまま、それでも冷静ぶってこの文章を綴っている私自身も同様である。その怒りを表明したところで、自分の「偽りの正しさ」を声高に叫ぶだけで、何の解決ももたらしはしないことを痛感するしかないのだ。

 スキャンダル好きのTVのワイドショーが、この事件をあまり大々的に報じないのは(『スッキリ!』で加藤浩次らが触れた程度)、番組制作者たちが、結論めいたことすら提示することが困難だと考えているからではないだろうか。「SNSを規制しろ」の声も上がっているが、そのSNSから情報を得ている面も大きいワイドショーが、ネタの宝庫を非難するような真似をするわけがないとも思う。
 しかし、「表現の自由」には必ず「責任」が伴う。発言を規制してはならないのは、憲法が保障する我々の権利だ。だがそのことによって、人の命が奪われたのなら、それを「処罰」する法律に不備があるのは問題ではないのか。
 どんなに差別的な発言だって、誹謗中傷だって、それを「規制」することはできないし、してはならない。でなければ言論は圧殺される。「規制に賛成・反対する意見」のどちらも発言できなくなってしまう。だから、求めたいのは発言に対しての法的な「責任の取らせ方」なのだが――。
 木村さんへの中傷の「どれ」が彼女を死に至らしめたのか、その因果関係を証明できない限り、「犯人」の立件はほぼ不可能だろう。
 だから、どうにも居たたまれないのである。

 語れば語るだけ、言葉の欺瞞が重ねられていく。そんな虚しい言葉・言葉・言葉の中で、木村さんの死だけが忘れられていく。
 それでも「沈黙」したままでいいのか、自らの正義に固執する人々を目の前にして、何も言わずに看過していていいのか、それは言葉で人を殺すこと以上に、「無関心」で人を見殺しにすることと同義ではないのか――。
 そう思いつつも、憎しみの連鎖を断ち切る方法を何一つ見つけられないもどかしさを、ずっと抱え続けているのである。
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