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2020年03月20日22:14

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平手友梨奈の願いはネットの悪意に対抗できるのか

■平手友梨奈「言葉の暴力しないで」 卒業ラジオで切実メッセージ
(日刊スポーツ - 2020年03月20日 09:40)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=54&from=diary&id=6015595

■ネットの誹謗中傷…川崎希、刑事告訴を取り下げ 女性2人も「深く反省」
(ORICON NEWS - 2020年03月20日 12:37)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=54&from=diary&id=6016155

 当該のラジオを聞いていないので、どういう経緯があって平手友梨奈が言葉の暴力を控えてと語ったのかは知らない。けれどもネット上には悪意のある書き込みが日常的に横行している。
 川崎希がいったんは誹謗中傷された相手に対して刑事告訴に踏み切ったのも、彼女に窃盗癖があったとか、流産しろとか放火するとか、根も葉もないウワサや脅迫めいたことを書かれたことが原因だった。
 もちろん、凶悪事件の犯人など、誰から見ても怒りを覚えるような対象は存在している。彼らに対して悪口雑言をぶちまけたくなるのは普通の感情ではある。しかし、先日亡くなった愛知県蒲郡市の感染男性(コロナばらまきおじさん)について、その姓名や職業まで調べ上げてネットに挙げている様子を見ると、批判を通り越して差別、迫害の域にまで達していると言わざるを得ない。遺族にまで非難が殺到してしまう可能性を考えれば、これはもう完全にヘイトクライムである。

 実のところ、ネットの悪口の大半は、「自分の気に入らないもの」「蔑み貶めても罪悪感を感じずにいられるもの」を探して、自分の不満のはけ口にしているものが殆どである。直接自分の生活に関係してこない対象、事象に対して、なぜそこまで憎しみをぶつけられるのか疑問に覚えるものばかりだから、結局は恣意的な差別意識で扱き下ろしているだけのことに過ぎない。一見、正義感や義憤に基づいているように見せかけていることがまた嫌らしい。
 だから、凶悪事件の犯人に対して「こんなやつは死刑だ」なんて発言する行為も、そう書き込んでしまうメンタルの本質はレイシズムと大して違いはないのである。
 でもそのことを理解し自覚できるほどの見識がある人って、そうそういないからね。特にネットはその匿名性から考えても「憎悪のはけ口」になりやすい。差別書き込みが一向になくならないのも、「誰かを貶める快感」にうっとりと酔い痴れることができるからだ。

 平手友梨奈に対しても、これまでにたくさんの憎悪や怨嗟の声が寄せられていたのだろうと思う。欅坂時代の「不動のセンター」時代だって、多分、他のメンバーのファンからのやっかみは多かっただろう。それは元AKB48の前田敦子へのバッシングのもの凄さ(これはたまたま某掲示板の書き込みを見てしまった)を想起しても類推できることである。
 ましてや平手友梨奈が「卒業」でなく「脱退」という表現を選んだことに対しては、一般人だけでなく、芸能人の中でも疑問を口にする人が少なくなかった。嫌な気分になるのでもう某掲示板までは覗くことをしなかったが、相当な誹謗中傷が飛び交っていただろうことは想像に難くない。
 しかし、彼女は「自分のこと」として言葉の暴力をしないでほしいと語ったわけではなさそうである。それどころか、悪口の対象にされる人どころか、差別する人たちに対してまで、「つらいこと、苦しいことの方が多い人もきっとたくさんいると思います。私もそう思っている人間のひとりです。でも、どれだけ嫌なことがあっても、逃げずに闘ってほしい」と、「誰かを不満のはけ口にすることが自分も傷つけることになる」と思いやってすらいる。
 18歳の女の子に、ここまで言わせてしまう風潮って、何なんだろうね。悲しくなるのは、こうした切なる願いも、届いてほしい相手にはまず届かないだろうということだ。何しろネットのレイシストたちは、ありとあらゆる「言い訳」を想定して、自身の行為を正当化しているからね。「いじめられる方にも原因がある」なんてのはその最たるもの。それで自分の加害責任が回避できるわけではないのだが。

 もちろん「表現の自由」は憲法に基づく基本的人権として、どこまでも保障されるべきものであって、どんなに酷い悪口であろうと、ヘイトスピーチであろうと、それを事前に規制してはならない。ただそれは言いっぱなしで放置してよいという意味ではない。その点を勘違いしている発言があまりにも多すぎる。
 ある表現が、明らかに特定の個人、集団、民族などの人権を侵害していると判断されれば、当然、名誉毀損や脅迫等の罪に問われることもあり得る。対象の活動を妨害していると認定されれば、威力業務妨害罪も成立する。川崎希の件は、まさしくその事実を証明してくれた。
 何を言ったっていいんだよ。でも発言した責任は生じる。平手友梨奈の声に聞く耳持たない人も、その事実だけは自覚しておいてほしいと思う。

 心配なのは、そうした「平手友梨奈の声が届かない人々」の悪意が、彼女の今後の活動に影を落としはしないかということだ。人間って、同情されるとかえって逆恨みしちゃうところがあるからね。哀れみを向けてきた相手に対して、見下されたって感じちゃうのよ。劣等感を刺激されて、逆に相手を貶めようとする行動に出てしまうのだ。
 ……既に「芸能人辞めろ」とか書き込んでる人もいるね。優しさに優しさで返すことは非常に難しいことだけれども、それができない劣等感を同情してくれる相手にぶつけるというのは、本当に自分が詮無くなるだけだと思うけれども。
 それは一生、誰かを恨んで憎しみ続けなければ生きられないってことなんだよ。

 平手友梨奈にはぜひ女優としての道を邁進してほしいと願っている。欅坂46時代から、雰囲気のある娘さんだとは思っていたが、舌を巻いたのは映画『響』での演技である。
 みなが「原作マンガからそのまま抜け出てきたような」と絶賛していたが、発しているオーラがまるで普通じゃない。正直、原作の方はあまり上手いとは言えないマンガで、致命的なのは「主人公は天才文学少女という設定なのに、その具体的な作品が1行たりとて紹介されない」ということで、言ってみれば、料理マンガでどんなに旨い料理が紹介されて、登場人物が「旨いぞー!」と叫ぼうとも、読者はそれを味わえるはずもないから置いてきぼりを食らうという、そういう隔靴掻痒な作品なのである。
 作品中に、実際に「天才的な小説」を紹介することは不可能だから、説得力を持たそうと思えば、「この娘ならものすごい小説を書きそうだ」と思わせるだけの個性をキャラクターに与えなければならない。でも基本、響ってコミュ障のバカで、そんなふうには見えないのが何だかなあだったんだけど――平手友梨奈が彼女を演じることで、その印象が一変したのである。マンガの中ではただのバカに見えた彼女の突飛な行動が、映画では全て計算づくの行動であるかのように完全に逆転していたのだ。もちろん過激な行動の根底には滾るような情熱がある。それが抑制された演技の中に潜んでいることが、何ものにも妥協しない目力で表現されている。天性の才能と言うべきことだろう。
 今後の活動も、「映画」を中心にしていくようだ。「先輩」前田敦子も、その演技力を高く評価されている。大根とか貶してるのはアンチだけで、映画を映画として客観的に観ている層はちゃんと観ているのだ。お世辞でも誇大広告でもなく、日本映画界を背負って立つ名優の一人に成長してくれるんじゃないかと期待しているので、応援したいと思っているのである。
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