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2020年01月21日23:19

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追悼・宍戸錠さん/映画に跳梁し、映画を嘲笑し、映画を挑発した名優の死

■宍戸錠さん死去 こぶ顔作り悪役極めた「エース」
(日刊スポーツ - 2020年01月21日 17:02)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=8&from=diary&id=5943584

■エースのジョー由来「3流殺し屋」求めた宍戸錠さん
(日刊スポーツ - 2020年01月21日 20:14)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=8&from=diary&id=5943863

 代名詞となった「エースのジョー」時代をリアルタイムで知る中心は、宍戸さんと同じ昭和ヒトケタ世代だろう。日活アクションの担い手であった石原裕次郎、小林旭、赤木圭一郎も同世代で、石原裕次郎も赤木圭一郎も、生きていればそれぞれ85歳、80歳になる。彼らが「どんな俳優だったか」を本当に語れる人々はごく少数になってしまった。
 私とて、最初に宍戸錠の名前を記憶したのは、TV『ゲバゲバ90分』のスケッチだった。映画なら、『ハレンチ学園』シリーズのマカロニ先生。永井豪漫画のキャラクターというよりも、自身の「エースのジョー」のパロディキャラのような扱いであったが、それに気づいたのも、後に1960年代の一連の「渡り鳥シリーズ」などを観てからのこと。70年代以降は主演作品は殆どなくなるし、TVバラエティでの出演の方が目立つようになるから、私よりも年下の世代になると、凡百のタレントの中に埋没した一芸人としての印象しかないのではないか。

 実際、追悼のコメントをしている人たちの内容も、日本映画史に重要な足跡を残した人物に対するものとは言えないものが多い。「昭和の名優が」と紋切り型のコメントを述べて何かを語った気になっているものなど、いったい何なのだろうと思う。代表作の一つも挙げはしない。彼を語る語彙があまりにも貧弱なのだ。おそらく、宍戸錠出演の映画など殆ど観たことがないのに違いない。
 漫画ファンなら、先述した『ハレンチ学園』を初めとして、数多くの漫画実写映画・ドラマに出演しているから、それらの一つ一つを思い出せるかもしれない。手塚治虫『ブラック・ジャック』の最初の映画化『瞳の中の訪問者』で、初の生身のブラック・ジャックを演じたのは宍戸さんだった(原作者から酷評されてたが)。『8マン』の東博士、『クルクルくりん』の東森博士という「二大博士」も演じている。いずれも漫画のキャラクターを演じることに抵抗感がなく、楽しんでいることが伝わってくる好演だった。
 もちろん代表作『殺しの烙印』や『危いことなら銭になる』などの、ハードボイルドからナンセンスまで、スクリーンから飛び出しそうなほどに爆発的な情熱をほとばしらせていた全盛期の宍戸さんの魅力は言わずもがなだ。
 しかし、どんなに熱く語ったところで、映画の上っ面しか見ないような観客層には一切ピンと来ないのかと思うと、心に寂しさを感じるなんてものではない。絶望に近い諦観を覚えてしまうのである。

 要するに、晩年まで映画でもTVでも活躍してきたにも関わらず、宍戸錠はとうに「忘れ去られた」俳優であったのだ。その真価が次世代に伝わらないまま、亡くなってしまったのだ。こんなに悲しいことはない。
 同じく宍戸錠と同世代で一歳年上の作家・小林信彦は、『日本の喜劇人』の中で、宍戸錠について一章を割いて詳述している。宍戸さんが映画史においてどんな立ち位置にあったかをこれだけ的確に示唆した文章は他には見られない。

>「私(小林信彦)の知る範囲において、宍戸錠はつねに醒めた人物であり、自分を突っ放して眺めることのできる珍しいスターである。
 (中略)ギャグを含めたさまざまなアイデアを持ち込むことによって、彼は、パターン化した日活活劇を冷やかし、批評し、真にユニークな役者となっていった。<笑わせる殺し屋>という、それ自体、矛盾した役柄を、極限までひろげることによって、<エースのジョー>という、いまだに通用するイメージを創造したのであった。
 (中略)さまざまな運と不運にもてあそばれてきたこの役者の半生は、そのような外的条件にもかかわらず、一つの方向を、はっきりともっていた。それは<アクションの魅力>と<ナンセンスへの意志>である。彼が、いわゆるコメディアン以上にコメディアン的なのは、その目標に向ってのつみ重ねが、方法論を踏まえており、莫迦(ばか)な真似をやっている自分をみつめるもう一人の宍戸錠の距離測定がしっかりしているからではなかったか。」
 (『日本の喜劇人』第六章 醒めた道化師の世界 日活活劇の周辺)

 宍戸錠をコメディアンだと認識したことはない。けれども大衆的な喜劇人よりもその演技は(たとえ重鎮的な役柄であっても)はるかに喜劇的で、世界そのものを嘲笑しているかのように見えた。小林はそれを宍戸の批評性と判断したのだろう。宍戸は演技によって映画を批評していたのだ。
 稀代の名優が逝った。宍戸さんを追悼する人は、名優の名優たる所以を心底理解してほしいと思う。

 合掌。



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