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2019年11月28日21:27

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腑に落ちたこと・・・宗教の民衆支配

 奈良・平安の仏教が鎮護国家の役割を果たしていたことを知識では知ってましたが,仏教(宗教)にどうしてそんな力があるのか長年わからずにいました。
 それが『南無阿弥陀仏と南無妙法蓮華経』という本を読んでいて腑に落ちる一説に出会いました。

<以下引用>
P103
 中世において呪力は圧倒的なパワーを持ち,農業においても神仏に対する祈祷が生産(豊作か凶作か)を左右すると考えられていた。こうした状況下,権門寺院は鎮護国家と五穀豊穣の祈りを担当し,民衆は祈りの世界の呪力に大きく依存していた。つまり,寺院は五穀豊穣の祈りを捧げ,民衆に便宜を図る代わりに,民衆は寺院に対して年貢を奉納しなければならなかった。
 こうして,ギブアンドテイクの関係に基づきながら,顕密仏教の僧侶たちは民衆を支配していく。
 ー(中略)ー
 こうなると,民衆がなすべきことは念仏でも読経でもなく「年貢を納めること」であり,支配者側は年貢を収めれば極楽に行けるが,そうでなければ地獄に落ちると民衆を脅すことができた。
 ー(中略)ー
 これでも充分に悪質だが,さらに質が悪いのは,僧侶が年貢を納めない(納められない)民衆に仏罰神罰が下るよう呪詛していたことだ。
<以上引用>

 旱魃や長雨,冷害がどうして起こるのかという科学的根拠が皆無に等しい時代にあっては天に祈るしか手立てがない。そこに権力はつけ込んで農民を支配したのでしょう。その権力に異を唱えることは現代のわたしたちでは考えられない破戒行為だったに違いありません。
 農作物が以下に天候に左右され,人為では如何ともし難い部分が大きいかは,わたしも少しばかり実感するところがあります。多少科学的な理由付けができる現代のわたしですら「お天道様しだい」と思って作業しています。昔の農民なら真剣に祈ることが唯一の方法だったのでしょう。そんな農民を支配するのは祈りと呪詛が効果覿面だったはずです。

 仏教(宗教)によって国家に支配されていく農民の心象と,仏教が鎮護国家の役割を担った仕組みが理解できました。
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