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2018年10月04日22:44

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黄昏の映画館日記…その31(茨城県土浦篇)

<strong>■映画館の街 … 土浦市</strong>

1982年(昭和57年)3月に学生生活も終って、金融機関に就職すると、配属は茨城県の土浦市になり、映画も当然そこで観るようになった。その当時、土浦には10館(その後2館増)の映画館があり、人口11万の地方都市としては環境的に恵まれていたようだ。(県庁所在地の水戸は、約2倍の21万の人口だったが、10館だった)

今あらためて鑑賞した作品を確認してみると数が多いのに自分でも吃驚する。学生時代の習慣が抜けていなかったのもあるだろう。土浦での4年間の後、取手の支店に異動となるが、取手やその周辺には映画館が全くなかった(今、つくばエクスプレスで人口が増加中の守谷も牛久も当時はなかった)ので、取手に移ってからも土浦に通っていたということも鑑賞本数が多くなった理由である。

そんな訳で、今回は80年代の映画を楽しませて貰った思い入れの深い土浦の映画館について書いてみたい。(以下は各映画館の紹介とそこで観た作品)

 
●<strong>テアトル土浦</strong>(後にテアトル土浦1=435席)

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JR土浦駅西口から徒歩10分、桜町3丁目にあった映画館。1954年(昭和29年)開館の土浦大映から、昭和39年にテアトル土浦に改名し洋画専門ロードショー館(閉館は2000年5月)となったという。この映画館で印象的だった事は客席内にドアを開けて入ると、場内が明るくならないように中に、もう一つの黒い幕がドアの幅で(内側に丸く)掛かっていたことである。それを二つに割るように入ると客席。これが珍しかった。こういった造りの映画館が他になかった訳ではないだろうが、個人的にいろいろ映画館を回った中では唯一ここだけだったので、土浦では一番風格を感じた映画館でもあった。実際78年に土浦プラザが出来るまでは市内唯一の鉄筋コンクリート造の映画館だったらしい。

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他にも隣が製氷所だったことや映画館の屋根にシネマスコープの大きなネオンサインがあったことも印象的だった。このサインがあるのは横浜日劇ばかりじゃないぞという感じで嬉しかった。初めて入ったのは、首都圏で大々的に007シリーズがリバイバル上映されていた頃の82年の4月。地方の洋画ロードショー館なので、基本は都内1本立ての作品が2本立てだった。

   「007ドクター・ノオ」「007私を愛したスパイ」…82年4月
   「007ロシアより愛をこめて」「007サンダーボール作戦」
   「悪漢探偵」
   「幻魔大戦」
   「プロジェクトA」
   「タイトロープ」「ポリス・アカデミー」
   「コマンドー」
   「ロッキー4 炎の友情」「栄光のエンブレム」
   「コブラ」
   「インディジョーンズ 最後の聖戦」 
 
   
●<strong>土浦プラザ</strong>(後にテアトル土浦2=118席)

78年にテアトル土浦は、同じ敷地内の右側に「土浦プラザ」を開館した。こちらも洋画ロードショー館だった。建物に入ると1階がモギリ受付になっていて、階段を上った2階が劇場だった。(但し晩年は経費節減で、チケットはテアトル土浦の受付で発券してもぎっていた)

ここで嬉しかったのはスプラッシュ(大都市で上映されず、宣伝なしで地方公開)で、『未知への飛行』や『センチメンタル・アドベンチャー』が観られたこと。『センチメンタル・アドベンチャー』は、評論家の秋本鉄次が関東では栃木だけで公開されたように言っていたけどそうじゃなかったのだ。それにしてもスプラッシュの『未知への飛行』と『ブレードランナー』の2本立なんて最高の番組で、これこそ地方番組の醍醐味、地方映画ファンならではの特典といえるものだった。

   「ポルターガイスト」「キャットピープル」…82年7月
   「ブレードランナー」「未知への飛行」(スプラッシュ公開)
   「センチメンタル・アドベンチャー」(スプラッシュ公開)
   「評決」
   「もどり川」「雨が好き」
   「サハラ」
   「裏窓」「愛と追憶の日々」
   「フラッシュダンス」
   「フットルース」
   「ライトスタッフ」
   「グレムリン」
   「ターミネーター」
   「007美しき獲物たち」
   「カラーパープル」
   「グレートブルー」
   「ブラック・レイン」
   「今そこにある危機」
   「カット・スロート・アイランド」
   「エア・フォースワン」
   「アナスタシア」


●<strong>土浦劇場</strong>(207席)

テアトル土浦と同じ通り(300メートル先の桜町2丁目)にあった映画館。土浦プラザが出来た78年に、他の経営者からテアトル土浦の会社がこの劇場を引き継ぎ3館体制で「土浦映画チェーン」を組んでいたようだ。元々は大正時代(無声映画)からの映画館で、途中で「土浦劇場」に改名、邦画を上映していたが、昭和の後半からは洋画ロードショー館として上映するようになったと思われる。幹線道路に面してはいたものの、特別な外装の無い2階建ての建物で(1階部分にポスターやスチールのウィンドウがあったが)正面に四角い駐車場があるだけの特徴のない映画館だった。85年、新しい商店街モール505にシアター505(166席)をオープンさせた為閉館した。(残念ながらネットでも写真が見つからず)
   
   「ロッキー3」…82年7月
   「ファイアーフォックス」
   「地中海殺人事件」「ランボー」
   「東京裁判」
   「ストローカ―エース」「トワイライトゾーン」
   「ジョーズ3D」「デビルゾーン」
   「ダーティハリー4」
   「スパルタンX」「へブンリ―ボディーズ」
   「シーナ」
   「アイアンイーグル」「ナイルの宝石」
   「ダブル・ボーダー」


●<strong>シアター505</strong>(166席=後にシネマイースターに改名)

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テアトル土浦が開設した映画館で、1985年JR土浦駅東口から西口側(つくば学園都市方面)への高架道路が建設されて、それに合わせて3階建ての商店街(モール505)が出来、その中に開館した。おそらく地元の商店街活性化もあって鳴り物入りで宣伝されたと思われるが、駅前の人流れもあり集客的に厳しい面も多かったようだ。構造的にも映画館用に設計されたスペースでなく商業用のものだった為、平面フロアに椅子を置きスクリーンを壁に設置していたので、従来の天井の高い観易い映画館とはいえなかった。2回ほど観に行ったが、2回とも客は自分一人で貸し切り状態。『バロン』は爆睡してしまって後悔した思い出がある。(2005年5月閉館) 

   「バロン」
   「海は見ていた」…2002年8月


●<strong>土浦東映</strong>(246席)

戦後は、「銀映座」の名で大映系の作品を上映していたが、1956年(昭和31年)には「土浦東映劇場」に改名して東映封切(契約館)となったという。土浦学園線の広い通りからは奥まった通りの路地(中央2丁目)にあった映画館で、その路地への入口に少し太めの針金で出来た横丁アーチ(精々3人ぐらいしか通れない幅だった)があり印象に残っている。滝田ゆうの漫画「寺島町奇談」に登場するアーチのようで風情があった。

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通い始めた1982年(昭和57年)当時は、もうその横丁も寂れていたようで突き当りのレンガ倉庫の周辺は駐車場になっていた。土浦東映も改名当時全盛だったと思われる東映時代劇の面影は欠片もなく、かなりくたびれた小屋だったが、それが却って東映の小屋らしくもあり嫌いではなかった。(95年閉館して現在は駐車場になっている。ネットで探したが写真はないので、印象の強かったレンガ倉庫の写真を載せたが、この倉庫も東日本大震災で被災して解体され存在しない)

   「大日本帝国」…82年8月
   「野獣刑事」
   「麻雀放浪記」「いつか誰かが殺される」
   「白い野望」
   「徳川家光の乱心 激突」
   「社葬」
   「悲しきヒットマン」
   「福沢諭吉」
   「江戸城大乱」


●<strong>土浦にっかつ</strong>(土浦日活=486席)

市の中心部や商店街から離れたところにあった。明治時代に芝居小屋から出発し土浦市内で一番最初に開館した映画館だという。64年(昭和39年)に日活と直営館契約を結び、最後(1988年閉館)までその傘下にあったようだ。個人的にはロマンポルノを積極的に観に行かなかったので、ここに入ったのは1度だけだったが、帰り掛けにモギリをしていた壮年の女性の方とお話させていただいた。「2階席もあって、486席というと市内では霞浦劇場に次いで大きいですね」、「ええ、大きいんですよ。今は古びて使わないので上は閉鎖してありますけど」、「日活がロマンポルノを始める前は、裕次郎やルリ子でいっぱいになった時もあったんでしょう」、「そうですね。そういう時もあったんですよ」。(建物はツタが建物に絡みついてくたびれた印象だったが、ここも小屋の写真はない)

   「ころがし屋涼太 激突モンスターバス」
   「行き止まりの挽歌 ブレイクアウト」(シネ・ロッポニカ2本立て)…88年8月

   
■<strong>土浦ピカデリー(2館)

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この後に紹介させていただく「霞浦劇場」の経営者が82年(昭和57年)に作ったのが、「土浦ピカデリー1、2」だった。元々、霞浦劇場が松竹系の契約館だったので、この2館はそれを引き継いで松竹系邦画と松竹・東急系の洋画を上映した。建物は鉄筋コンクリート造2階建てで、1階部分に傾斜があり観易い階段式の客席のピカデリー1、2階が緩やかなスロープ式のピカデリー2となっていた。2の方は後年椅子を整理して、2人掛けのカップル用シートも作っていた。

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外装は特別洋風な感じではなかったが、落ち着いたベージュ色の真新しい劇場で、外にチケット売り場があった。内装は洋館風の白。2階への階段の右側にモギリ受付カウンターがあって、そのまま右へ入るとピカデリー1、階段を上るとロビーと自販機があって、ピカデリー2になっていた。階段は2階へ周り込むような造りになっていたが、その白い壁に映画看板職人のスターの似顔絵(オードリーヘップバーン、ビビアン・リー他)が飾ってあって、市内では一番、洋画ロードショー館らしい雰囲気があった。(その後シネコンブームに圧されて2005年の休館後、1階をカラオケボックス、2階をライブハウスとして運営したが、2008年閉館)

●<strong>土浦ピカデリー1</strong>(220席)

   「蒲田行進曲」「この子の七つのお祝いに」…82年9月
   「クラッシャージョウ」
   「戦場のメリークリスマス」
   「この子を残して」
   「迷走地図」
   「魚影の群れ」
   「メインテーマ」
   「Wの悲劇」「天国にいちばん近い島」
   「カポネ大いに泣く」
   「エリア88」「テラ戦士サイボーイ」
   「男はつらいよ寅次郎恋愛塾」
   「野蛮人のように」「ビー・バップ・ハイスクール」
   「ゴリラ」「南へ走れ、海の道を」
   「ア・ホーマンス」「めぞん一刻」
   「瀬戸内少年野球団 最後の楽園」
   「レッツ豪徳寺」「アイドルを探せ」
   「男はつらいよ幸福の青い鳥」「必殺4!恨みはらします」
   「ハチ公物語」
   「さらば愛しき人よ」「この愛の物語」
   「またまたあぶない刑事」「ふ・た・り・ぼ・っち」
   「ステイゴールド」「バカヤロー!」
   「座頭市」
   「魔女の宅急便」
   「リメインズ 美しき勇者たち」
   「ウルトラQザ・ムービー」
   「3−4X10月」
   「鉄拳」
   「幕末純情伝」「僕らの七日間戦争2」
   「息子」
   「ザ・シークレット・サービス」
   「女ざかり」
   「GIジェーン」
   「RONIN」

●<strong>土浦ピカデリー2</strong>(180席)

   「セーラー服と機関銃(完璧版)」…82年7月
   「天城越え」「砂の器」
   「丑三つの村」
   「時代屋の女房」
   「ハイ・ロード」「ゴルゴ13(アニメ作品)」
   「男はつらいよ旅と女と寅次郎」「いとしのラハイナ」
   「男はつらいよ夜霧にむせぶ寅次郎」「ときめき海岸物語」
   「フィラデルフィア・エクスペリメント」
   「必殺!ブラウン館の怪物たち」「V・マドンナ大戦争」
   「新・喜びも悲しみも幾年月」
   「キングコング2」
   「異人との夏」
   「ラストエンペラー」
   「利休」
   「天河伝説殺人事件」
   「満月」
   「河童」
   「ウルトラマンゼアス」「甦れウルトラマン」「ウルトラマン・カンパニー」
   「虹をつかむ男」
   「オースティンパワーズ デラックス」
   「ウルトラマンティガ THE FINAL ODDSSEY」
   「郡上一揆」
   「LOVE SONG」
   「ロード・オブ・ザ・リング」
   「突入せよ、あさま山荘事件」
   「ヘブン&アース」


●<strong>霞浦劇場</strong>(650席)

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「かすみがうら劇場」でなく「かほ劇場」と読む。幹線道路沿いにあった土浦ピカデリーの奥の通り(中央2丁目だが、土浦東映とは少し離れている)にあった映画館で、ピカデリーの経営者が親から引き継いでやっていた。昭和2年の開館で、土浦では「土浦日活」に次いで2番目に古い劇場だったという。館の造りは当時主流の芝居小屋形式で、大きな天井と広い舞台袖、 大道具部屋が設置され、無声映画の他舞台や歌謡ショーなども上演したというから、各地で芝居小屋から映画館になった、その典型的な劇場だったようだ。

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木造2階建てで2階席があり、升席もあったらしいが、私が土浦で観始めた頃は、消防法の関係もあって閉鎖されていた。元々は松竹映画の契約館で60年代には洋画を上映していたが、「土浦ピカデリー」(2館)をオープンさせたので、それはそちらに譲り、成人映画を上映していた(「土浦日活」があった為、ピンク映画をやっていた)ようだったが、時折ピカデリーでやらない一般映画を上映することがあった。私が観たのはその時だけである。

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普通、映画館といっても木造か鉄筋か外装では分からないものだが、ここは外装からして完全な木造建築という感じがよかった。写真に見るようなオレンジのトタン板壁の建物で、中に入るとロビーに当る部分の壁も如何にも板壁だった。1階の客席は敷地的にも広い感じがしたが、スクリーンに向ってやや後方の席の中に、大きい石油ストーブがあって、その周りに安全の為に手すりが設置されていたのが印象的だった。夏場は勿論クーラーで冷やしていたが、エアコンでなくストーブとの併用というのが昔風でよかった。(『クレオパトラ』上映中の写真以外は私が当時撮ったもの。閉館は2003年2月)

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   「東京日和」
   「遠い海から来たCoo」
   「ユリョン」


■<strong>土浦セントラルシネマズ(4館)

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JR土浦駅西口から徒歩5分。現在、近隣のシネコン攻勢を受けながらも、土浦で唯一残っている老舗の映画館が「土浦セントラルシネマズ」。1957年(昭和32年)木造2階建ての祇園会館を建設し、「土浦セントラル劇場」(290席)を開館、邦画の2番館として運営されていたが、82年(昭和57年)には鉄筋コンクリート5階建てのビルに建て替えて、セントラル1、2をオープンした。89年には同ビル内にもう2つの映画館を開館し、セントラル1〜4の4館となる。

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当時、「土浦東宝」が54年に閉館し、東宝の契約館がなかったこともあって、63年(昭和38年)頃からは東宝、ヘラルドの封切館となり、東宝洋画系の作品も上映するようになる。しかし2011年に東日本大震災で被災した為、セントラル3,4を休館し、現在は残り2館で営業中ということである。ここは以前ほど入っているテナント関係が賑やかではないのが残念だが、スポーツクラブがある為か明るい雰囲気は保っている。また経営者の映画が好きだという気持ちがこちらに伝わってくるような番組編成(地元作品やマイナー作品への愛情)が嬉しい。

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現在セントラル1,2はデジタル上映設備も入れて上映中だが、35ミリの上映にも拘って、一時『祖谷物語おくのひと』(2014)をロングラン。現在は昨年2月からの超ロングランで『この世界の片隅に』の上映中!数人の観客という日もあるようだがまだまだ上映するという。頑張れ!「土浦セントラルシネマズ」!健闘を祈りたい。

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●<strong>土浦セントラル1</strong>(89年よりセントラル3=210席)

   「ションベンライダー」「うる星やつら オンリーユー」…83年2月
   「小説吉田学校」
   「細雪」
   「みゆき」
   「ミラクルマスター七つの大冒険」
   「積木くずし」
   「ハートブレイクリッジ勝利の戦場」
   「となりのトトロ」「火垂るの墓」
   「スウィートホーム」
   「千利休 本覚坊遺文」
   「ブルースチール」
   「あの夏いちばん静かな海」
   「ラストボーイスカウト」
   「マーベリック」
   「ガメラ2レギオン襲来」

●<strong>土浦セントラル2</strong>(89年よりセントラル4=170席)

   「BLOW THE NIGHT 夜をぶっとばせ」
   「逃れの街」「夜明けのランナー」
   「居酒屋兆治」
   「F2グランプリ」
   「瀬戸内少年野球団」
   「ユー・ガッタ・チャンス」
   「銀河鉄道の夜」
   「時計アデューリベール」
   「マルサの女」
   「いこかもどろか」
   「ダーティハリー5」
   「リーサルウェポン2 炎の約束」「ピンク・キャデラック」
   「デッドフォール」
   「メンフィスベル」「ルーキー」
   「フェアゲーム」
   「催眠」

●<strong>土浦セントラル1</strong>(89年開館=300席)
   
   「マルサの女2」…88年2月
   「私をスキーに連れてって」「永遠の1/2」
   「ぼくらの七日間戦争」「花のあすか組」
   「幼女の時代」
   「トゥームストーン」
   「誘拐」

●<strong>土浦セントラル2</strong>(89年開館=280席)

   「太陽の帝国」
   「舞姫」
   「夜逃げ屋本舗2」「国会へ行こう」
   「のど自慢」


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