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2021年06月13日08:39

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平成5年式スズキCARA、累積走行距離228501km突破、未知の領域へ(5/30)

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自分は18歳で運転免許を取得してから、昭和56年式ダイハツシャレード→昭和56年式スズキジムニーSJ10→昭和48年式ホンダZ→平成2年式三菱ミニカトッポ(唯一の新車)→昭和54年式三菱ジープJ24H→平成3年式スズキカプチーノ→昭和63年式トヨタスターレット(唯一のAT車)→昭和58年式三菱ジープJ44(現存)→昭和61年式三菱ジープJ53→平成5年式スズキCARA(現存)→昭和56年式三菱ジープJ36→平成3年式ホンダBEAT(現存)と、クルマを11台乗り継いできた。

その中でいちばん乗ったのはカプチーノで、沖縄・那覇勤務時代に走行68000km台の中古車を購入し、その後名古屋→東京→新潟→釧路と転勤先に帯同し、16年ちょっとで16万km以上乗って、2012年に廃車にしたときの累積走行距離は228501kmだった。
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保有している期間はジープJ44がいちばん長く、すでに自分が入手してから19年目になるが、ジープは10万kmのケタがなく、2002年に19年落ちの中古車として買ったときに78000km台を示していたが、おそらく1回転して17万kmは走っていたのではないかと思うが、趣味のクルマで日常の足として使えるようなクルマでもなく、その後もう1回転してはいるものの、自分が入手してからの走行距離は大したことない。
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その後ジープJ44は、福井勤務時代に距離計が壊れ、ついに12999kmから13000kmに繰り上がらなくなり、今は常に12999km台を示したままになっており、それから1000km以上は乗っているとは思うが、それでも累積走行距離は22万kmには達していないのは間違いない。

カプチーノの劣化が進み、修理のため整備工場に長期入庫したり、ファーストカーとして使えなくなりつつあった2009年、カプチーノと同じエンジンをミッドシップに搭載している走行14万km弱の16年落ちのCARAを茨城県龍ヶ崎市の中古車店で見つけ、東京出張のついでに買ってから12年。
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カプチーノと同様に車体の劣化が進み、一時は廃車も視野に入れざるを得ない状態になっていたが、貴重なCARAを廃車にするのは忍びなく、大掛かりな板金修理をして再び安心して乗れる状態にして維持している。
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その後、今度はエンジンが壊れて乗れなくなってしまったが、高かったがリビルトエンジンが見つかり載せ替えて復活させたりもしてきた。
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ともかく、釧路→旭川→函館→札幌→福井と転勤しながらも現役車として維持してきて、ペースは鈍ったものの累積走行距離は北海道在住時にすでに22万kmを超えていた。
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去年の10月に横浜勤務になってからは茨城県取手市から電車通勤する身となり、日常的にクルマに乗ることはなくなり、3台順番に休みの日に近所のスーパーに買い物に行くときくらいしか乗らない生活となり、それぞれ月に1・2回数km動かすだけの状態だが、CARAは2月23日に使ったのを最後に、3月に買い物に行くときに使おうと思ったらバッテリーが上がってエンジンが掛からなくなっていた。

その後、4月10・11日に長野県阿南町のキャンプ場で行われたクルマ仲間のミーティングに参加するため、JAFの救援を呼んでCARAのエンジンを掛け、帰ってきたら距離計は228498kmになっていたから(写真1)、次に乗るときにはカプチーノを廃車にしたときの累積走行距離の228501kmを超えるのは確実だった。

茨城県取手市から長野県阿南町まで2日間で往復700kmを超える距離を運転して充電できたはずだが、次にCARAで買い物に行こうと思った5月3日、再びバッテリーが上がっておりCARAのエンジンは掛からなかった。

CARAのバッテリーは、カプチーノを廃車にする前の日にカプチーノから移し替えたバッテリーなので、それからでも8年半経っており、カプチーノに積んだのはいつだったか記憶にないくらい前から使っているバッテリーであり、おそらく新潟勤務していた頃に買ってから15年くらい使っていると思われ、もう限界である。

取り急ぎ、遠距離通勤で横浜勤務している今はクルマいじりする時間的余裕もなく、CARAのバッテリーを手配するよりも、車検の期限が迫っていたジープJ44の車検を優先することにした。

J44はパーキングブレーキが甘くなっており、自力で直す暇もなかったので、今回は隣の茨城県守谷市の信頼できる整備工場に修理を依頼し、ついでに車検の継続も依頼していた。

J44の整備と車検が完了したとの連絡を受け、5月30日日曜日に引き取りに行くことにしていた。

J44を引き取りに行くだけだったら、取手から守谷まで関東鉄道常総線で行って、J44を引き取って乗って帰ってくればいいのだが、CARAは札幌から福井に転勤する際の住宅下見出張のときに福井へ先に運んでしまい、1ヵ月だけ借りた月極駐車場に置いてきたときにドアロックを掛けたのだが、福井に赴任したら助手席のドアロックが壊れて解除できなくなってしまった。

古いクルマでもあり、当然のことながらドアロックのリンクなど部品が出てこず、福井の整備工場ではお手上げで、それ以来助手席ドアを開けることができなくなって1人乗り専用車になっていたのだが、守谷市の整備工場に相談したら、直せるか分からないが1度持ってくればチャレンジしてみてくれることになった。

そこで、ジープJ44を引き取りに行く際にCARAに乗って行って、CARAをそのまま預け、助手席のドアロック解除と、ついでに新品のバッテリーに交換してもらうことにして、車検が完了したJ44で帰ってくることにした。
フォト

そのためにはバッテリーが上がっているCARAのエンジンを掛けねばならないので、再びJAFの救援を仰ぎ、エンジンを掛けた。

そのまま守谷市の整備工場へ出発してしまうと、途中で累積走行距離は228501kmを超えてしまうので、まずは自宅周辺を運転して距離を稼ぎ、距離計が228501kmを指している間にいったん帰宅したが、このときはまだ助手席ドアは開けられない(写真2)。

そして、距離計を撮影すると、カプチーノを廃車する際に自動車解体業者に持ち込んだときに示していたのと同じ228501kmになった(写真3)。

それから守谷市の整備工場まで11〜2km運転して行ったので、自分が保有するクルマとしては、累積走行距離228501kmで廃車にしたカプチーノの累積走行距離を超え、未知の領域に入った。

CARAも老朽化が激しく、あと何年、あと何km乗れるか分からない状態ではあるが、できることなら距離計が234567kmを示すまで、あと6000kmちょっとは現役車として維持していきたいとは思うところである。
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