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2021年07月27日05:06

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北海道紀行:小樽を歩くその6=古い伝統的なビルはまさに「北のウォール街」にふさわしく

 食事を終えると、朝と同じ日銀通りを再び上がり始めた。

◎辰野金吾設計の旧日銀小樽支店
 旧日銀小樽支店の建物(写真)は、今から1世紀以上前の1912(明治45)年7月に完成した。当時は、札幌にもほとんどないモダンな建物だった。日銀本店、東京駅と同じ、辰野金吾の設計である。
 その後、ここで業務を続けていたが、小樽経済の凋落と共に(例えば小樽市は最盛期には18万人の人口を抱えていたのに、今は12万人に減っている。ストロー現象よろしく、札幌に北海道経済を吸い取られ、ついでに業務を失って人口も吸い取られたのだ)、2002年に業務を終了、翌年、建物をそのままに利用した金融資料館をオープンした。

◎小林多喜二の勤めていた旧拓銀小樽支店は似鳥美術館に
 日銀通りの向こう側、1ブロック戻った所に小樽郵便局局舎があるが、その海側の向かいに「似鳥美術館」がある(写真)。建物は、旧北海道拓殖銀行小樽支店である。1923(大正12)年に建てられた。
 拓銀小樽支店と言えば、僕には懐かしい。高校生・学生時代、マルクス・ボーイだった時に夢中で読んだ、プロレタリア文学旗手・小林多喜二が、地下活動兼作家に専念する前のここで働いていたのだ。小樽高商(現・小樽商科大学)を卒業して拓銀に入り、小樽支店に配属されたのだから優秀だったのだろう。

◎かつて共産主義者は純粋だった
 もっとも左翼活動がたたり、多喜二は拓銀を免職されてしまう。そして東京に行き、作家活動に入る。後に日本共産党の地下活動に入るが、スパイに売られて逮捕され、築地警察署で非業の拷問死を遂げる(写真=下は警察から返された多喜二の亡骸を前に悼む多数の友人・関係者たち)。
 当時の共産主義者は、極貧に耐え、命も恐れぬ無私の活動を行うほど純真だったのだ。スターリニスト中国や北朝鮮ならず者集団に見られるような今の腐敗堕落した連中と違って。
 その建物は、北海道で育ち、今や全国展開をしている家具・雑貨の高収益企業ニトリが買い受け、似鳥美術館に改装されて利用されている。

◎旧北海道銀行や旧三井銀行小樽支店なども
 旧日銀小樽支店の周辺には、上記の旧拓銀小樽支店のほかに、旧北海道銀行本店(下の写真の上)や旧三井銀行小樽支店(下の写真の下)などの時代を感じさせる古い建物が残っている。
 さすが「北のウォール街」と言われるだけある。

注 容量制限をオーバーしているため、読者の皆様方にまことに申し訳ありませんが、本日記に写真を掲載できません。
 写真をご覧になりたい方は、お手数ですが、https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202107270000/をクリックし、楽天ブログに飛んでいただければ、写真を見ることができます。

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