またまたエチオピア紀行が空きすぎた。前回の158回は9月21日だったから(「エチオピア紀行(158):ダロール火山見学に警備の兵士3人とガイドが待っていた」を参照)2カ月以上の空白である。前回は、ダロール火山に向かうのに、現地にたどり着くと、アファール族ガイドの他に、護衛としてエチオピア軍兵士が待っていたことを述べた。
◎4年半前は平和だったが
この時(2016年1月)は、ティグレ州もアファール地方も、エチオピアは平和だった。ところが今年10月、ティグレ族主体のTPLFとエチオピア政府との戦闘が始まった。僕も訪れ、宿泊した州都メケレなどでも戦闘が起こっているという。今は、どうなっているか、心配である。
さて、そのエチオピアのアファール低地帯にあるダロール火山行である。兵士の警護で茶色の溶岩だらけのダロール火山を行く(写真)。ただ、この火山、登る、という感覚は全くないほど、低い丘である。
◎岩塩のテーブル?
途中、円錐形の塔のような岩山が見えた。昔の噴火口だろうか。上に鳥が載っているように見える。足下の溶岩がごつごつして、歩きにくい(写真)。
ややしばらく進むと、先に歩いていた兵士たちが腰を下ろして僕たちを待っていた。
そこは、奇妙な景観の広場だった。ほぼ平坦の所にクリーム色のテーブル状造形があちこちに見える(写真)。
おそらく塩だ。火山に持ち上げられた岩塩層が露頭していて、風化してテーブル状の形になっているのだ(写真)。
◎無尽蔵の塩で2000年来、生計を得てきた
右手を見ると、緩やかな丘の斜面の先に、米粒のような四駆が3台走ってくる(写真)。ダロール火山の新たな見学者だ。白い原野は、一面、露出した岩塩である。それは遥か右にも左にも広がっている。
広大――まさにその一言だ。
遊動するアファール族の採集民が、およそ2000年前にこの無尽蔵の塩を見つけ、高地の農耕民の所に持っていけば、テフやモロコシなどの食料と交換できることに気がついて以来、アファール族はずっと塩を掘り続けている。それでも、まだ枯渇しない。それは、こうした風景を見れば、納得できる。
◎曇っていて幸い、ほとんど暑さを感じない
僕らに付いた警備の兵士たちが、何か談笑している。水も無い塩砂漠に、いったいどんなテロリストが潜んでいるのだろうか。
ところで昨日来から、ダナキル砂漠に太陽を見ない。赤道直下に近いアファール地方で、しかもダナキル砂漠は海面下にある。太陽が出れば、強烈な太陽光に炙られて、僕たちは動けなかっただろう。
雲が太陽を遮蔽してくれ、おかげでほとんど暑さも感じずに歩ける。ありがたいと思った。
注 GREEによる容量制限をオーバーしているため、読者の皆様方にまことに申し訳ありませんが、本日記に写真を掲載できません。
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追記 都合により24日〜26日までの日記は休載します。
昨年の今日の日記:「北米マンモスハンター、大穴にマンモスを追い込み狩猟した跡をメキシコで発見」
昨年の明日の日記:「アメリカのアルテミス計画とゲートウエー建設いよいよ、日本参加も小惑星探査の技術継承が不安」
昨年の明後日の日記:「日韓GSOMIA、文在寅の独演は無残な失敗、日本には重要な教訓の得られた予想外の収穫」
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