今年は、アメリカで禁酒法が制定されて100年になるのだそうだ。
禁酒法なんて、世界史の話で、今の人たちにはピンとこない。実際、ハリウッド映画でアルコールが画面に出てこないなんてことは決してない。そんなアメリカで、100年前にこんな社会政策が実施されたのだ。
◎憲法で禁酒を規定
禁酒法は、いわばアメリカの建国理念に基づく。酒類を引用目的で製造、販売、運搬、輸出入を禁じた憲法修正第18条によって敷かれた。それに、第一次世界大戦に欧州戦線に従軍した兵士たちが、ヨーロッパのワインやスコッチ、ビールを飲む文化を持ち込み、敬虔なクリスチャンはまゆをひそめた。
またアメリカでは建国以前のイギリスの植民地時代以来、禁酒運動が広く続いていたことも背景にあった。西部劇で見られるように、酒場は悪事の温床視されてもいた。
アメリカの禁酒時代は、修正第18条が1933年に修正第21条によって廃止されるまで続いた。
◎酒を飲むのは禁止せずに抜け穴
ただ、憲法修正第18条は、国民が酒を飲むこと自体は禁じなかった。だから富裕層は高価な密造酒で豪華なパーティーなども開けた。一方、労働者階層は、酒類のヤミ価格が高騰したから、買えなくなった。修正第21条で同18条が廃止されるまで、彼らの飲酒量は半分になったという。
廃止されたのは、飲酒が悪とされたことによる国民の反感が高まり、アルコールの密造と密売で巨利を得て暗黒街を制圧したアル・カポネなどのマフィアギャングを蔓延らせたこと、また取り締まり当局の連邦捜査局の酒類取締局の捜査官が、ギャングとの銃撃戦で500人以上も殉職死し、巻き添えになった市民やギャングも2000人以上が死亡するなど、弊害が目立ったからだ。
◎アル・カポネを追い詰めた凄腕捜査官の悲惨な末路
テレビドラマ『アンタッチャブル』の主役として描かれたエリオット・ネス(写真)は、酒類取締局の清廉な捜査官として買収や供応の誘惑もはねつけ、アル・カポネを追い詰め、ついに獄中に投じた英雄だったが、常にギャング側に命を付け狙われるストレスから、皮肉にも後に自らはアルコール中毒になった。またあまりにも仕事に没頭しすぎて家庭生活を犠牲にしたため、家庭崩壊に至ったという。
晩年は、酒場に入り浸って昔の武勇伝を語る借金まみれの酔っ払いになって亡くなった。
◎カポネの年間収入は6000万ドル!
アルコールは適度に飲めば、社会生活の潤滑油として貴重だ。僕は深酒は嫌いだが、ビールは好きだ。そうした市民は多いだろう。
健全な市民を高いヤミ酒購入に追いやり、密造・ヤミ販売するヤクザを肥え太らせるとしたら、やはり禁酒法は悪法だったのだろう、と思う。
実際、禁酒法のおかげで、アル・カポネの年間収入は6000万ドルにものぼっていたと推計されているのだ。当時の6000万ドルは、今の価値ならとのくらいになるのか。しかも税金を払わない不当所得だ。その金でマフィア組織が拡大した。
崇高で高潔な理念も、曲げられれば悪を助長するという典型例である。
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昨年の今日の日記:「樺太紀行(37);ユジノサハリンスク市内にもネヴェリスコイ像、そしてチェーホフ記念公園散策」
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