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2020年01月30日06:03

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面目一新、商業捕鯨の鯨肉は美味とか

 商業捕鯨が再開され、半年が過ぎた(写真)。

◎味の良いと高評価の商業捕鯨の鯨肉
 捕獲された肉は、味が良いと市場評価が高く、人気も上々だという。年間の捕獲枠が決められていて、その量は調査捕鯨時の4割に留まるため、鯨肉を供する専門店では不足感が強いそうだ。
 今春には、調査捕鯨時に捕った肉の在庫がなくなり、完全に商業捕鯨の捕獲肉に置き換わる。その確保が難しいという。

◎近海で脂ののった個体を狙い、捕獲後は素早く解体処理
 調査捕鯨時は、あくまでもクジラの生物学的、生態的調査が前提だったので、捕獲はその目的にあった個体を捕り、捕獲後は生物学者による年齢推定や胃の内容物検査などの科学調査が先行した。その間、血抜きなどが行われず、肉質を損ねた。
 そのうえ調査捕鯨は南氷洋で行われたから、冷凍しても時間がたつ。対して商業捕鯨は昔から伝統的に沿岸で行われていた拠点から排他的経済水域(EEZ)内という近海で行われる。新鮮な鯨肉が得られる。
 さらに商業捕鯨の今は、脂ののっていそうな太った個体を選び、しかも捕獲後は肉質を損ねない速やかな解体処理が行われる。したがって肉は、美味い。
 ただ前述したように、年間捕獲枠が決まっているので、生産される鯨肉はわずか1500トンほどしかない。これは、他の漁獲物、例えばサケの40分の1、マグロの70分の1でしかない。水揚げ金額も、16億〜18億円ほどと、完全に「雑魚」の水準だ。
 量の確保が最大の隘路だ。

◎幕末の日本近海はクジラの宝庫
 これでは一般の人の口に入らず、特殊な美食家の好みとなる。
 ところで日本とクジラは、昔から沿岸漁業の花形だった。1頭捕れば、「七浦栄える」と囃された(絵=江戸時代のいさな獲り)。
 しかも幕末には、ペリー来航(嘉永6年=1853年7月)前の1840年代、小笠原から日本近海は各国の捕鯨漁が盛んで、薪水と食料を求めて捕鯨船がしきりに沿岸各浦に接近・上陸した。小笠原沖は、ザトウクジラの繁殖の場だから、たくさん群れていた(写真)。
 日本が開港を求められたのは、そうした背景がある。

◎鯨肉を食べた印象は最悪だったが
 そう言えば、もう何十年も前、鯨肉は大阪で1回しか食べたことがなく、その時、特有な臭いから、美味いとは思えず、目をつぶって食べた。以来、鯨肉はずっと敬遠してきた。記憶ではあまり高くはなかったから、きっと古い肉だったのだろう。
 面目一新した鯨肉、1度は食べてみたい。

注 容量制限をオーバーしているため、読者の皆様方にまことに申し訳ありませんが、本日記に写真を掲載できません。
 写真をご覧になりたい方は、お手数ですが、https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202001300000/をクリックし、楽天ブログに飛んでいただければ、写真を見ることができます。

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