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2020年01月19日05:22

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「火事と喧嘩は江戸の華」と言われた江戸時代に大火災で「切り放ち」で解放された伝馬町の囚人たち(後編):ついに逃げ切れなかった偉才・高野長英

 江戸時代、迫る大火の延焼から守るために伝馬町の牢から「切り放ち」された収監者のうち、ほんの数人だが、約束の刻限と場所に戻らなかった脱走囚がいた。
 しかし彼らは、役人の追及に、後にほぼ確実に捕縛され、獄門に処せられた。

◎「蛮社の獄」に連座し終身刑を受ける
 1つには、役人たちにとってメンツのかかる追及だったので、特別に苛烈だったことのほか、積極的に民衆からの通報があったこともある。
 僕が、「切り放ち」で思い出す最大の有名人は、幕末の蘭方医・蘭学者だった高野長英である(絵)。
 彼は、幕府の対外姿勢を穏健に批判した文書を配布したかどで天保10(1839)年、「蛮社の獄」に連座し、「永牢」、すなわち終身刑を宣告され、伝馬町牢屋敷に収監された。
 「蛮社の獄」は、蘭学・蘭方医学に憎悪を燃やす幕府守旧派・鳥居耀蔵の策謀によるものだったが、長英は、鳥居のいる間は、釈放に見込みのないことに絶望、ついに獄舎の下働きをしていた非人を買収し、伝馬町の牢屋敷の放火をさせ、首尾良く「切り放ち」で外に出た(図=伝馬町牢屋敷)。

◎人望で牢名主になった長英
 なお長英は、蘭方医であったから、牢内では囚人医療に努め、また劣悪な牢内環境の改善なども訴えた。これらの行動と親分肌の気性から、牢名主に祭り上げられた。
 牢名主とは、1つの房に数十人も詰め込まれた中で、入口近くで畳を10枚も積み上げ、ぎゅう詰めの牢内で1人だけゆうゆうと過ごせる最高待遇の囚人のボスだ。牢名主だけが、牢の役人と折衝ごとを行えたし、新たに入獄してくる新入りから「ツル」という賄賂を受け取る特権があった。
 牢名主は、ツルで牢役人を買収し、外との通信も自由に行えたし、酒や食べ物を差し入れさせることもできた。長英は、外の友人との通信で、世間の動きを逐一把握し、幕閣内での鳥居の栄進で釈放の望みがないことを知り、脱獄を企てるに至る。

◎立ち回り先を厳しく追及
 長英が、非人を買収して放火させることができたのも、彼が慕われていたことの他、多額のカネをつかませたからである。そのカネは、新入り入獄者が差し出した「ツル」を貯めたものだ。
 弘化元(1844)年6月末、牢屋敷が火元になった火事で、狙いどおりに切り放たれた長英は、様々の知己と人脈をたどり、江戸を脱出、諸国を放浪し、郷里の水沢(岩手県)にも潜入し、母との再会も果たしている。
 しかしメンツを潰された役人たちの追及も厳しく、彼の放浪先は、立ち寄り直後に役人に急襲され、彼を匿った多くの蘭学者・蘭方医の友人たちが罪を受けるという悲劇も起こった。

◎宇和島まで逃亡、藩主伊達宗城に庇護を受ける
 むろん江戸はもちろん、全国に長英の人相書き(写真などない!)が配られた。しかしその程度の人相書きでも、人脈をたどる追及で長英は何度も間一髪の危機にあったのだ。いかに、当時の幕府の探索・追及が、巧みだったか分かる。
 一時は長崎のシーボルト塾の同門・二宮敬作の紹介で、伊予宇和島に潜伏し、そこで藩主伊達宗城に庇護されて、兵法書など蘭学書の翻訳や宇和島藩の兵備の洋式化に従事した。
 しかしそこにも、幕府の探索の手が迫った。役人たちは、常に風聞に耳をすませてい たのだ。宇和島藩に迷惑をかけないために長英は、伊予宇和島から逃げ、最後は江戸に戻り、そこで医業を開業し、妻子と暮らす。

◎江戸に潜って潜伏も密告で捕縛
 ペリー来航3年前の嘉永3(1850)年10月末、何者かに密告され、町奉行所に踏み込まれて捕縛された。「おかみをコケにした」と憎悪に凝り固まった捕方たちに十手で強かに殴打され、縄をかけられた時には既にほとんど息がなかったという(写真=岩手県水沢市にある大安寺の高野長英の墓)。
 無名の犯罪者と異なり、有名な政治犯だったにしろ、長英はたった6年余しか逃亡できなかった。それほど幕府の町奉行の探索は執拗であり、かつその方法は驚くべき水準だったのだ。
 ちなみに彼を獄に投じ、絶望の余り、脱獄に踏み切らせるに至った鳥居耀蔵は、皮肉にも長英脱獄のわずか3カ月後に職務怠慢、不正を理由に失脚している。鳥居の失脚を聞き、長英は3カ月の差を地団駄踏んで悔しがった。後知恵のそしりを免れないが、あと3カ月、我慢していれば、知己の工作などもあった長英は確実に釈放され、それなりの地位に復権できたのである。

注 容量制限をオーバーしているため、読者の皆様方にまことに申し訳ありませんが、本日記に写真を掲載できません。
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昨年の今日の日記:「韓国がいただく憲法は反日を国是とする反日憲法、だから韓国に決して妥協するな」

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