しばらく休載していたエチオピア紀行を久々に再開する。今後、1週間に2回程度の頻度でアップしていきたい。ご愛読を乞う。
◎岩礫だらけ
ティグレ族の家庭を訪問し、僕たちは村から学校に向かった。村の家で大きな岩礫の近くにロバが繋がれていた(写真)。見たところ草も生えていないのに、何を食べているのだろうか。
村の中には、こうした岩礫があちこち転がっていた。するとここは、昔、川であった所ではないか、と思った。掘ると、礫がすぐ出てくるのだろう。
学校訪問、と言っても、アポ無しだから、外から見るだけのようだったが。
道路を渡ると、岩礫を積み上げた垣があって、向こう側の林の向こうにエチオピア正教の教会の尖塔が見える(写真)。その向かって右手側が学校になっているようだ。
◎整地された校庭の学校へ
エチオピアの就学率は50%ほどという。学校に行かない子どもたち、学校もない村も珍しくはない。ここは、村でも大きい方なのだろう。
学校も二部制で、午前の部と午後の部に別れる。だから実際の授業時間数も、日本など先進国よりずっと短い。
校庭に出ている子どもたちが、珍しいらしく僕たちを見ている(写真)。しかし村人や子どもたちが整地したのだろう、校庭にはほとんど石ころは見られない。岩礫の垣のこちら側と学校側では、かなり違っている。
◎粗末なゴールポスト?
石の垣の向こうに見える学校は、平屋建ての校舎で、そこは村と違って積み石で造られてはいなかった。
木を組み合わせて造られた粗末な構造物は、サッカーのゴールポストであろうか(写真)。
僕たちは、校舎に向かった。
注 容量制限をオーバーしているため、読者の皆様方にまことに申し訳ありませんが、本日記に写真を掲載できません。
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昨年の今日の日記:「樺太紀行(25);ハマナスの群落にひっそりとコウリンタンポポ、チシマフウロ、ゴゼンタチバナの花が」
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