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2019年12月01日05:46

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追悼:中曽根康弘元元首相が残したもの:国鉄の分割・民営化と対外外交

 中曽根康弘元首相が11月29日、亡くなった。享年101歳、不摂生な生活が当たり前の政治家にしては、異例の長寿であった。

◎最大の功績は国鉄の分割・民営化
 中曽根氏の逝去には、テレビや新聞がトップで報じ、その功績を称えていた。
 僕も、その評価には異論は無い。戦後日本史では、傑出した宰相として歴史に残るだろう。
 僕が、中曽根氏の最大の功績として挙げたいのは、国鉄の分割・民営化である。中曽根氏は、首相に就任すると、民間活力を導入して行財政改革を目指した。とりわけ電電公社、専売公社と並んで3公社の1つである国鉄の分割・民営化に力を注いだ。
 当時の国鉄は、毎年のように運賃・料金を値上げしながら、それでも年に1兆数千億もの巨額赤字を積み上げていた。

◎国鉄の労組管理打破に向け
 それには徹底した合理化しかないのだが、国鉄を牛耳る国労、動労の左翼組合によって国鉄組織が壟断され、使用者には当事者能力を失っていた。マル生運動の失敗から、職場は国労、動労の横車が横行し、職制は職場管理すらできなかった。事実上、国鉄現場は、国労、動労による「人民管理」にあったと言えよう。
 それを、中曽根内閣は、やり遂げた。国鉄は、JRとして民営化され、東日本、東海、西日本の本州3社、九州、北海道、四国の3島会社、貨物に分離分割された。

◎大成功だった国鉄の分割・民営化
 この荒療治により、JRは立ち直った。それどころか本州3社は、民営化前の巨額赤字体質から脱し、東海で4390億円、東日本で3010億円、西日本で1185億円(いずれも2020年3月期予想)巨額純利益を出すようになっている。民営化前はブラックホールのように税金を飲み込むだけだった企業体が、分割・民営化で逆に国庫と地方自治体に税金を納めるようになったのだ。
 ただ3島会社のうち、九州だけは黒字体質が定着し、2016年に上場されたが、北海道と四国は、いまだに赤字体質を脱却できない。
 特に北海道の場合は、職員の9割を組織する労組が革マル派に支配されているため、かつての国鉄と似た状態にあり、前途は多難だ(18年10月22日付日記:「国鉄の破綻した道を歩む愚かなJR北海道、革マル派支配の組合に手をつけずに経営できるのか」、14年1月25日付日記:「これ以上、放置するな、JR北海道の宿痾である労組支配」、13年10月7日付日記:「なぜ多いのか、JR北海道の不祥事」を参照)。

◎レーガン大統領と「ロン・ヤス」関係
 田中リモコン内閣と揶揄されたように、中曽根氏が首相に就く際、あるいは政権を運営していく間、常にヤミ将軍の田中角栄の影響力から脱却できなかった。
 しかし当時、日本の国力がピークに達した運にも恵まれたが、アメリカのレーガン大統領とは「ロン・ヤス」関係と呼ばれるほど深い親交を結び、日米関係は強化された(写真=日の出山荘でレーガン大統領を迎えて)。現在の安倍政権、戦後間もない吉田内閣時代を除けば、中曽根内閣時代ほど、日米関係が強化された時はなかった。また時のイギリスのサッチャー首相とも親交を結んだ。

◎唯一の靖国への公式参拝も一回限りのわけ
 惜しかったのは、首相の公式参拝として初めてにして、その後も実現されていない1985年の靖国神社への公式参拝である。中曽根氏も、この日を最後に以後、公式参拝を止めている。
 これは、朝日新聞のご注進のせいで、友人として親交を結んでいた中国の胡耀邦総書記(写真)の政治的立場が中国国内で苦しくなったと知ったからである。以後も続ければ、胡耀邦総書記の失脚もあり得るとして、1回でやめた。
 6.4市民革命(いわゆる「天安門事件」)前の中国は、民主化に少しずつ向かい始めていた。胡耀邦総書記は、その舵取りをしていたのだ。中曽根氏の判断も、やむを得なかったと思える。

◎対中、対韓外交は絶好調だったが、対ソ連外交は動かず
 今では昔日の感も覚えるが、日韓関係も中曽根内閣の手で戦後最良の状態にもっていった。83年1月に訪韓し(写真)、全斗煥大統領主催の歓迎晩餐会では、スピーチの4割を韓国語で話し、スピーチが終わると万雷の拍手で迎えられ、韓国側の出席者の仲には「日本の首相が自分たちの言葉で話してくれた」と涙を流した人もいたという。
 対中国、対韓国関係は、中曽根氏の相手方カウンターパートがたまたま日本に理解があったから、最高の友好関係にもっていけた。その点で、現在の安倍首相と違い、中曽根氏は運が良かったと言える。安倍首相の場合は、相手が悪すぎるのだ。
 得意の外交でも、唯一の例外は対ソ連関係だった。中曽根内閣時代、対ソ連関係はほとんど動かなかった。ソ連にはゴルバチョフ大統領が登場し、何度か会談しているから、本腰を入れれば北方領土問題の解決の糸口が開けたかもしれない。それが、中曽根外交の唯一の瑕瑾であった。

注 容量制限をオーバーしているため、読者の皆様方にまことに申し訳ありませんが、本日記に写真を掲載できません。
 写真をご覧になりたい方は、お手数ですが、https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/201912010000/をクリックし、楽天ブログに飛んでいただければ、写真を見ることができます。

昨年の今日の日記:「モフモフの毛に包まれて短い脚、極寒の地に生きるマヌルネコの寒冷適応、NHK−BSプレミアムで観て;追記 ヒトゲノム編集の暴走男に世界の非難」

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