これがヨハネ=パウロ2世だったら――そう思わずにはいられなかった。
23日から26日まで4日間、日本を訪れたフランシスコ教皇である(下の写真の上)。ローマ教皇の訪日は、1981年のヨハネ=パウロ2世以来(下の写真の下)、38年ぶりのことだが、僕はフランシスコ教皇の訪日を冷めた目で見ていた。
◎核なき世界、平和は言ったが、香港への言及はなし
フランシスコ教皇は24日、日本のキリスト教布教の入口となった被爆地長崎と同じ被爆地の広島を訪れ、「核なき世界」と「平和」を訴え、祈りを捧げた。
その祈りは、現下の世界状況からピント外れは免れない。教皇は具体的に国名を挙げなかったが、批判の先が世界一の核大国であるアメリカに向けられていたのは明らかだ。
しかし現在、最も活発に核武装と核開発を進めているのが、中国と北朝鮮ならず者集団という2つのスターリニスト国家であることも明らかであり、その両国への批判はなかった。
しかし僕が最も冷ややかに思ったのは、訪日期間中、ちょうど香港区議選が行われ、開票されている時だった。カトリック教徒が少なくない香港と、ローマ教皇に忠誠を誓うスターリニスト中国本土の抑圧されている地下教会信者への激励と祝福の言葉もなかった。
◎スターリニスト中国と和解し、地下教会信者を見捨てる
フランシスコ教皇にとって、スターリニスト中国は「配慮すべき」国なのだろう。
実際、昨年9月、フランシスコ教皇のいるバチカンの教皇庁は、長年禁教弾圧に耐えて信教を守っている中国の地下教会信者を見捨てて、共産党官許の「中国天主教愛国会」の共産党政権の任命した司教7人をローマ教皇が正当性を承認し、スターリニスト中国に媚びを売った(18年9月25日付日記;「バチカンのフランシスコ教皇、共産党中国と握手し、禁教下に耐える信者を見捨てる」を参照)。
中国本土出身で、スターリニストどもの大陸支配の確立後、密かに禁教下の大陸に潜伏し、地下教会信者たちに神学を教え、ミサを主催した香港の陳日君・枢機卿(写真)は、共産党官許の「中国天主教愛国会」を公認することの危険性と過ちをバチカンに訴え続けたが、それは無視された(17年1月22日付日記:「バチカン、フランシスコ教皇の共産党中国との危険な『和解』を憂える;香港の陳日君・枢機卿の深まる苦悩に共感」を参照)。
そうしたスターリニスト中国とバチカンの和解をリードしたのは、フランシスコ教皇だった。
◎独裁者に優しく、抑圧される信者に無関心
彼はまた14年にはカリブ海のスターリニスト国家のキューバを訪れ、ラウル・カストロと会談、キューバとアメリカとの国交回復を取り持った。
こうした独裁者、スターリニストに融和的なフランシスコ教皇の態度は、先々代のヨハネ=パウロ2世とかなり違う。スターリニスト独裁下のポーランドで長く司教を務めたヨハネ=パウロ2世は、祖国のポーランドを統一労働者党(共産党)支配から解放するために不屈に闘った反体制組織「連帯」に、終始、祝福を送り、励まし続けた。
ヨハネ=パウロ2世なら、禁教の抑圧に耐える地下教会信者たちを思い、スターリニスト中国との和解など決してしなかっただろう。
そして訪日の前後には、香港に立ち寄り、圧政に抗する香港のカトリック信者に勇気と祝福を与えただろう。
◎「解放の神学」の影響大きく
フランシスコ教皇は、イスラム教との和解も進めているが、スターリニスト中国の新疆ウイグル自治区(東トルキスタン)のムスリムの人権にも無関心のようだ
フランシスコ教皇の出身は、南米、アルゼンチンであり、南米のカトリックには左翼的な「解放の神学」に属する指導者が多い。解放の神学の影響を強く受けていると思える。
カトリックにシンパシーを感じる僕も、今の教皇には全く親しみを感じないし、一切の共感もない。
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