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2020年05月29日18:42

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幼稚な詭弁による「何か」の正当化

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コレは、歴史的事実を語っているようで、ヒドい「沈黙のウソ」で歴史の真実を騙っている。

かような、歴史の切り取り方は、人類の叡智を目指した営みの積み重ねとしての「歴史」への、冒涜である。


確かに、反差別とより良い社会を謳いながら、実際には虐殺と弾圧によるディストピアを招いたケースは歴史的事実としては少なくないし、なんなら、その犠牲者は1億どころじゃないかもしれない。

しかし、それだけしか見ないのは、あまりにも雑な知覚である。

忘れてはならないことだが、
差別に対しての無作為は、もっと自然に、もっと多くの人を殺した。
自然すぎて特にそれをそのようにカウントしないくらいに当たり前に、殺した。

反差別を騙って犯された過ちによって殺された人は確かに多い。
しかし、守られたヒトもいる。

その一方、差別は誰一人守らなかった。


一例だが、
フランス革命の流血を非難するのは容易いが、
フランス革命を否定するのはありえない。

フランス革命によって打倒されたアンシャンレジームは、
フランス革命よりも平和に、
フランス革命よりも自然に、
フランス革命よりも静謐に、
フランス革命よりも多くの人を直接的にあるいは間接的に殺した。


実際に、フランス革命は虐殺事件で人を多く殺したが、
(リヨンの大虐殺ですら、そのほんの一部でしかない)
フランス革命以前は毎日の日常の中で淡々と、社会秩序がより多くの人を死に至らしめた。

もちろん、それでフランス革命の流血が正当化されるわけではないが、
フランス革命自体の意義を否定したり、アンシャンレジームをフランス革命よりも善しとするのは、極めて愚昧といえる。


そして、
「差別のない明るい社会」を謳ったモノがその言葉と裏腹に殺戮の嵐を招いたという事実(の一部分)を切り取るその意図は、
反差別という事そのものを貶めることにある。
もっといえば、既存の差別を肯定するのがその意図のあるところだ。

そのために、「反差別の非人道性」をことさらに強調し、
…そして、「差別の非人道性」「差別による犠牲者」について、それを識りながら意図的に沈黙しているのだ。

コレがゲスでなくてなんなのか。

コレが、雑な大ウソでなくてなんなのか。

そして、こんな雑な大ウソを鵜呑みにすることが愚昧でなくてなんなのか。

人道性を貶めるのは、その安直さに於いて、実に魅力的なのだろう。
あるいは、人道性の強いるマジメさや誠実さが、ある種の息苦しさであり束縛に思えてしまうような人にとっては、人道性に対する否定的言動や評価は、「解放」でありスカッとする痛快なモノであるのだろう。

それがまさに愚劣だとワタシは言う。

アタマ使え。
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