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2019年11月17日11:31

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あなた自身のあなた自身によるあなた自身だけのための闘い

#自己肯定 と #自己否定 とについて。
この二つは対立するモノでもなければ並び立たないモノでもない、むしろ補完関係さえあるモノなんだ。
だが、自己肯定感が満たされずにコンプレックスばかり肥大化したヒトは、自己否定さえ抹消すれば自己肯定感を得られる、と錯誤する。
…言っておくけど、それ、却って遠回りだからな。

「なんの条件付けも、なんの制約付けもなく、自分につきまとう心地よいモノ、心地悪いモノ、都合の良いモノ、都合の悪いモノ、便利なモノ、不便なモノ、そうしたモノと、一切切り離された次元で、オレは、ただ、オレとして、ただ1人の個として、唯一無二にして孤立無援、孤高の存在として、此処に在る。その事実を認め、揺るぎない事実として受け容れる。」
コレが、自己肯定だ。

それは、裸一貫・徒手空拳で世界と向き合い格闘し続ける覚悟をも、ごく自然に、伴う。

その過程では、苛烈な自己否定を、通過儀礼として受容する必要があることもある。

生ぬるい、自己甘受を、自己肯定のことだと勘違いしているうちは、
そんなアナタに、自己肯定が訪れることはない。
アナタが望んだ、かりそめの慰めとしての、自己甘受が、いっとき訪れ、はかなく失われる、その繰り返しだけだ。

真の自己肯定感のためには、あなた自身があなた自身に対して闘わなくてはならない。

自己肯定感が低くてツラい?
だから、立ち上がるしかないんだよ、立つんだ!



■自己肯定感の低い人々の悲痛な叫び「私なんかと会いたくないと思うから遊びに誘えない」「思ったことが言えなくてバカにされる」
(キャリコネ - 08月12日 08:30)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=210&from=diary&id=5745162
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