ちょっとつぶやきに書いた事と連動する日記です。
コロナ禍は、大げさではなく感染という命と経済という命のせめぎあいだ。
ワクチンも治療薬もない未知のウイルス。
たしたことないと舐めてる人も多いようだけど、自分や身内に高齢者や持病持ちがいたりしたら、下手すりゃ命取り。
しかも、どう変化するかも解らない。
まずは感染を防ぐ、止めることが一番。
そのために人が密集するイベントを中止したり、繁華街のショップを閉めたり、学校を休校させたり、通勤者を減らすためにテレワークを取り入れたりしながら「不要不急」の外出や移動を避けるよう呼びかけた。
ゆるゆるとはいえ、まま、そこそこの効果はあったのは、数字にも表れている。
(満員電車は緩和され、人ごみは減り、町は静かになって、例年の春より自殺者も交通事故も減り、通勤ストレスから解放されて家族と過ごす時間が増えたよ思わぬ副産物もあったりして)
ただ、ここで、休業をやむなくされた仕事に従事している人たちはたまらない。
イベントや飲食、観光、宿泊といった直接業種も勿論、それに関連する様々な業種もあおりを食らう。
その中でも、普段からぎりぎりのところで働いていた人たちは、寝泊まりしていたネカフェが休業して寝る場も失ったりしている。
ここで必要なのは、「真水」です。
安心して一年くらい無収入で食える位の現金支給して、国民引きこもらせるしかない。
これで、ふたつの「命」は救える。
金の事ばかり言ってるような人間だけど、文明社会では金は命をつなぐ必要不可欠なものなんだ!
人間、金がなきゃ死ぬ!
生きるには、まず金です!
「お金の問題じゃない、仕事に生きがいを感じている人が、仕事を奪われて金やるから家で寝てろ、と言われたらどう思いますか?」
みたいなことを以前書いていた人がいて、実はそれがずっとカチンときて引っかかっている。
「余裕のある優雅な人なんですねえ」
としか思えない。
お金の問題じゃないって言えるのは、今、金に困ってない証拠ですから。
殆どの人が生きるため生活のために仕方なく仕事をしているのが大半の中、生きがいを感じられる仕事につけたのは幸福だと思います。
ただ、その生きがいある仕事につくためには、そういう人たちは、まあ、頑張ったんでしょうし、犠牲にしていたものも多かったんでしょう。でも、それでも、幸運もあったんですよ。
上野千鶴子さんの言ってたでしょ、あなた方が努力できたのは環境に恵まれたからだということを忘れないで下さいと・
私の数少ない友人と、メールを通して会話した時、まあ、コロナ怖いね、お互いずっと家に引きこもってるよ、とかいう雑談ですが、その中で感染リスクを恐れながらも今日も生活のために仕事に行けなばならない人たちや、
コロナ禍で仕事や収入を失って、路上に出るしかない人たちの話が出て、その時の彼女の
「家にいられるだけで、幸せ」
という言葉が、すごく印象に残っています。
まあ、確かに私は家に引きこもっているの大好き人間ってことが割り引いても。
安心できる家(これは家庭環境や家族とのかかわり(夫に暴力ふるわれないとかね)も含めて)と、なんとか暮らしていけるだけのお金がある。
それ、すごく幸福なんじゃないかとしみじみ実感するんです。
生きがい、なんて、生きてこそ言えるんですよ。
死んじまったら生きがいもへったくれも感じられませんよ。
で、もっときつい事言いますが、生きがいだった仕事を奪われて抜け殻になる人、その人、本当に「仕事が生きがい」だったの?
仕事以外、何もなかったのなら、それは生きがいじゃなく単なるワーカーホリックなのでは?
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