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2020年02月13日16:24

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大阪メトロについて その8

8. セクト

市営モンロー主義も、一種のセクトと言えますが、大阪市の場合、複数のセクト主義が入り組み、利用者に不便をかけることが続いてきました。

その典型の一つが、大阪トランスポートシステム(略称 OTS)という会社です。

この会社は、主に港湾開発を目的とした大阪市の第三セクターであり、すでに中止されている大阪テクノポート計画でも中核を担う予定だった会社です。

この会社が、なんで「セクト」にかかわってくるのか?


かつて、中央線やニュートラムを利用されていた方には、ちょっと異質な車両が交じって走っていたことを覚えている方もいらっしゃると思います。

それが、OTS所属の車両であり、中央線 大阪港〜コスモスクエア間 及び ニュートラム トレードセンター〜コスモスクエアを建設、所有、運営に当たっていた会社なんです。

この会社は、主に港湾開発とそこにおける交通整備を目的とした会社であり、鉄道の運営を意識した会社ではありません。

そのため、実際の運転は、車両や区間がOTSでも、大阪市交の職員がそのまま運転するスタイルであったのです。

それなら、鉄道事業法における第三種鉄道(施設を建設、所有しながら、運営する会社・・・第一種、第二種会社・・・に貸し付けて運営する会社)で十分なのに、何故か第一種鉄道として開業してしまったのです。


中央線にしてもニュートラムにしても、軌道法に基づく運営ながら、大阪港とコスモスクエアの間は、第一種鉄道として普通鉄道になっているのは、港湾開発の一環として建設された経緯があり、軌道法に認定されなかった経緯があります。


これは、公共輸送とは認められず、「利益誘導」と見做されたため、公共交通の事業者(ここでは大阪市)の路線としては不適格との見解から、大阪市営地下鉄中央線の延伸線としては国から建設費の補助を受けられなかったためです。
(すなわち、軌道法による運営ができない)

そのため、建設費軽減を目的に、第三セクターである大阪港トランスポートシステムに白羽の矢を立て、同社が鉄道路線を建設し、かつ中央線とは「別会社、別路線」扱いにして運営も委ねることで、当区間の建設に漕ぎ付けたのです。


大阪府民ならよくご存じなWTCやATCの運営失敗(その後、ATCは復活したが)の原因の一つが、南港地区の交通網の不便さにありました。

当初の南港地区の軌道系交通機関はニュートラムのみで、南港から大阪市の南端の住之江公園に至ったうえで、そこで地下鉄四つ橋線に乗り換えてアクセスする必要があったのです。

ニュートラムそのものは、南港ポートタウンの足として開業した経緯もあり、南港テクノポート地区(咲洲地区)への利便性を考慮していなかったのはやむを得ないことでした。


このため、大阪市中心部とのアクセスのために、インテックス大阪での大規模展示会やイベントがあった際には、地下鉄中央線朝潮橋駅から湊大橋経由のバスが運行されており、そのためのバスターミナルが、今もインテックスには残っています。

また、南港東八丁目(ポートタウン東駅近く)と朝潮橋などを結ぶバス路線も定期的に運行されていました。


このため、大阪市は中心部と最短距離で結ぶ軌道系交通機関を整備する必要に駆られたのですが、上記のような事情により、別会社として開業することになったのです。

しかし、当初から問題を抱えたスタートでした。

今も日本の交通網の中で問題にされているのが、相互乗り入れにおける初乗り加算(初乗り運賃の二重取り)があり、第一種鉄道のOTSと大阪市の間では、初乗り運賃の二重取りが発生したのです。
(割引はあったが、20円だけ)

これにより、咲洲地区へのアクセスとしての利用はまだしも、南港ポートタウンの住民が使用することはなく、利用が当初から大幅に低迷していたのです。


また、そもそも、南港と大阪港を結ぶ軌道系交通機関は、当初はニュートラムの延伸で計画されていました。

しかし、大阪オリンピック招致などを見据えて、咲洲〜夢洲〜舞洲〜新桜島を結ぶ鉄道計画(この計画自体は以前からあった)との一体整備のために、建設費が高く、結果的に第一種鉄道になる地下鉄方式になったのです。

しかも、夢洲地区へのトンネルも合わせて建設したがために、この償却のために運賃が高額になったこともネックになりました。

しかし、大阪オリンピック招致失敗後、大阪トランスポートシステムは事業形態を第三種に変更し、大阪市が第二種として運営することにより、運賃を低減させることに成功しました。

1997年から2005年までの8年間は、完全に大阪市内部のセクト争いに巻き込まれた格好です。


また政治的にも、このような事態を招く体質を批判し、市長の関純一氏が大阪市営地下鉄の民営化を提唱、大阪市職員厚遇問題の解消を行おうとしたのですが、結果的にこれが、時代に逆行する平松市政を生むことになるのです。


大阪市交通局は、役所と政治のセクト争いの道具へとなり下がり、ミニ国鉄のような状況になり始めていたのです。


ちなみに、大阪トランスポートシステムは、咲洲トンネルの運営にも関わっていたのですが、回数券横領事件や管理不十分事案が続発し、管理運営会社を阪神高速株式会社に移管されています。
(平松市政の元では、珍しい行政改革)


9.民営化へ に続く。
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