題名:ん 日本語最後の謎に挑む[読書日記790]
著者:山口 謠司(やまぐち・ようじ)
出版:新潮新書
価格:680円+税(2010年2月 発行)
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タイトルに惹かれて読んだ本です。
この本を読むまで、「ん」について、深く考えたことなどなかったので、興味深く読みました。
表紙裏の惹句を紹介します。
日本語には大きな謎がある。母音でも子音でもなく、清音でも濁音でもない、
単語としての意味を持たず、決して語頭には現れず、かつては存在しなかった
という日本語「ん」。「ん」とは一体何なのか? 「ん」はいつ誕生し、どん
な影響を日本語に与えてきたのか? 空海、明覚、本居宣長、幸田露伴など碩
学の研究と日本語の歴史から「ん」誕生のミステリーを解き明かす。
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目次は次のとおりです。
はじめに
第一章 「ん」の不思議
第二章 「ん」の起源
第三章 「ん」と空海
第四章 天台宗と「ん」
第五章 サンスクリット語から庶民の言語へ
第六章 声に出して来た「ん」
第七章 「ん」の謎に挑む
第八章 「ん」の文字はどこから現れたか
第九章 明治以降の「ん」研究
第十章 「ん」が支える日本の文化
あとがき
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印象に残った文章を引用します。
【第一章 「ん」の不思議】から、奈良時代には「ん」が書かれていなかったという話。
“奈良時代の文献、たとえば『古事記』や『日本書紀』『万葉集』などの文献には、右に述べたように上代特殊仮名遣いによる音の書き分けがあった。(略)
それでは、当時の万葉仮名の表記では「ん」はどのように書かれているのだろうか。
驚くなかれ、何度読み返しても、これら上代の書物には、「ん」を書き表す文字がひとつも使われていないのである”(26p)
【第二章 「ん」の起源】から、平安時代になって「ん」を書く必要性が高まったという話。
“このように、「ん(ン)」は平安時代が始まる800年頃から次第に表記の必要性が感じられるようになり、民衆の文化が言語として写されるようになる平安時代末期、音を表すための文字として姿を現したのである”(59p)
【第三章 「ん」と空海】《中国にも「ン」はなかった》から。
“延暦二十三(804)年、遣唐使で中国へ渡った空海は、サンスクリット語を研究して、インドのサンスクリット語で書かれたオリジナルの仏典を学び、「ン」を書き表すことができる文字を持ち帰って来たのである”(61p)
【第六章 声に出して来た「ん」】《「ん」は捨てて書く》から、鴨長明が生きた時代には「ん」は(口語では使っていても)表記されていなかったという話。
“さて、平安末期から鎌倉時代に生きた鴨長明(1155〜1216)が書いた歌論集『無名抄』の「仮名序事」という、和歌を書くときの仮名の書き方を述べた文章には、次のように記してある。(略)
これは、撥ねる音、つまり「ん」は、表記しないのが和歌を書くときの原則であるということを言っているのである”(108p)
【第十章 「ん」が支える日本の文化】から、「阿吽」の「吽」と「ん」の関係性から「吽」について解説した文章。
“「阿」とはサンスクリット語では口を開いて最初に出す音であり、「吽」は口を閉じて最後に出す音をされる。(略)
しかし、この「阿」と「吽」は、こうした言語の音としてではなく、じつは空海が伝える真言密教では、「阿」が宇宙の始原を、「吽」がその終焉を表すという思想を意味するのである”(185p)
また、マニアックな情報として「ン」と「ん」の初出本について触れた文章を【第八章 「ん」の文字はどこから現れたか】から引用します。
“こうした研究の結果、現在のところ「ン」という〈カタカナ〉が使われたもっとも古い写本は、前出の龍光院に所蔵される、康光院に所蔵される、康平元(1058)年の『法華経』だとされている”(156p)
“〈ひらがな〉での「ん」の使用は元永三(1120)年に書写された元永本『古今和歌集』が初出であると言われている”(159p)
著者の研究成果と蘊蓄が詰まった本でした。
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山口 謠司(やまぐち・ようじ)
1963(昭和38)年、長崎県生まれ。大東文化大学文学部准教授。博士(中国学)。
フランス国立高等研究院大学院に学ぶ。ケンブリッジ大学東洋学部共同研究員を経て、現職。
『妻はパリジェンヌ』『日本語の奇跡』『ん』『てんてん』『名前の暗号』『となりの漱石』など、著作多数。
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