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2020年07月12日09:01

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レオナルド・ダ・ヴィンチ ミラノ宮廷のエンターテイナー[読書日記786]

題名:レオナルド・ダ・ヴィンチ ミラノ宮廷のエンターテイナー
著者:斎藤 泰弘(さいとう・やすひろ)
出版:集英社新書
価格:1050円+税(2019年12月 第1刷発行)
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著者の本職はイタリア語学・イタリア文学の研究者で、“たまたま20代のころから彼の手稿の翻訳と出版に携わってきた”(11p)とあります。
手稿の翻訳がレオナルド・ダ・ヴィンチの理解に役立った理由を著者は次のように書いています。
“彼が手稿を書いているときに、稀に生じる自動筆記現象(オートマティズム)の中に現れる無意識の欲動から、その内部をうかがうことである。
 彼は羽根ペンを削って筆馴らしをするときに、手稿の余白に《djmmj………》(………わたしに言ってくれ)という決まり文句を書きつける癖があり、この筆記は無意識の動作で生じるために、その試し書きに続く文句の中に彼の密かな欲動が立ち現れることがあるのだ”(38p)【第1章 レオナルドが鏡文字を選んだ理由】から。

表紙裏の惹句を引用します。

“ルネサンス期の天才、レオナルド・ダ・ヴィンチ。
 芸術家、科学者として有名な彼だが、その素顔は人嫌いで、生涯、鏡文字を
 使い、若いころは未完作品ばかりで、実力はあるけれども「画家失格」の
 烙印を押されるほどであった。
 そのレオナルドが、軍事技術者として自らを売り込み、君主の権謀術数の
 手先として壮大な宮廷イベントの総合演出を取り仕切り、さらに『白貂を
 抱く貴婦人』『美しき姫君』『最後の晩餐』などの名画を作った約20年間
 のミラノ時代の活躍を検証する。
 同時に彼の残した手稿から、天才の秘めた闇の部分も描き出そうという試み
 の書”

目次を紹介します。

 はじめに
 第1章 レオナルドが鏡文字を選んだ理由
 第2章 はるかなミラノへ――都落ちの原因は?
 第3章 失われた騎馬像についての感想からなにが分かるか?
 第4章 ミラノ公国はどんな国だったのか?
 第5章 軍事技師と宮廷芸術家として
 第6章 天国の祭典
 第7章 野蛮人のパレード
 第8章 『白貂を抱く貴婦人』はどんな女性だったのか?
 第9章 サンセヴェリーノ夫妻の肖像画
 第10章 ミラノ宮廷のエンターテイナー
 第11章 『最後の晩餐』はなぜ名画なのか?
 第12章 ミラノ脱出
 おわりに

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全12章の中から、印象に残った文章を引用します。

【第2章 はるかなミラノへ――都落ちの原因は?】から、レオナルドが遅筆で有名だったという話。
“若いレオナルドが、誰よりも卓越した才能を持つ画家であることは、フィレンツェ人はみな承知していた。
 そして彼が遅筆で作品を完成できない画家であることも、この都市では有名だった。たとえばウゴリーノ・ヴェリーノという人文主義者(1438〜1516年)は、この時期にフィレンツェで活躍していた画家たちについて、ラテン詩で次のように歌っている。

   たぶんあらゆる画家を凌駕しているのは、レオナルド・ダ・ヴィンチだ。
   だが、彼は作品から筆を手放すことができず、
   古代の画家プロトゲネスと同様に、何年経っても絵を一枚も完成できない”
   (48p)

【第3章 失われた騎馬像についての感想からなにが分かるか?】から、レオナルドは弟子たちに甘かったという話。
“(歴史家でもあった)パオロ・ジョーヴィオ司教が悲しんだのは、レオナルドが若い弟子たちを、まるで慈母のようにやさしく庇護して、どのような手助けも惜しまず、弟子の作品に手を入れてやったりもするが、同時にその若者がたえず自分に依存し、自分なしでは自立できないようにしてしまうからであった”(67p)

【第5章 軍事技師と宮廷芸術家として】から、レオナルドの売り込みの才能について。
“実を言うと、こうした売り込みや説得にかけては、レオナルドは本当に天才的な能力の持ち主であり、そのことはすべての伝記作者が口をきわめて称賛している。
 たとえば、前述の『美術家列伝』を書いたヴァザーリは、次のように述べている。

  彼は手書きした素描によって、自分の着想を実に見事に表現することが
  できたので、どれほど頭脳明晰な人を相手にしても議論で打ち負かし、
  それが可能な根拠を示して相手をやり込めてしまった”(88p)

【第11章 『最後の晩餐』はなぜ名画なのか?】から、『最後の晩餐』が名画と讃えられる理由について。
“最後に、誤解を避けるために、繰り返し言っておきたい。レオナルドは画家であって、聖職者でも、神学者でも、哲学者でもなかった。
 だから聖職者や、神学者や、哲学者が、自分が読み取りたいと思った思想をすべてその中に読み取れるような優れた画像を作ってやったのであり、そのことこそ、画家としての彼の偉大な力量を示すものだ、と言いたいだけなのである”(233p)

【第12章 ミラノ脱出】から、レオナルドのやみがたい功名心について。
“(レオナルドが君主ロドヴィーコに宛てた手紙の中で)われわれにとってはるかに興味があるのは、レオナルドの最大の弱点である、やみがたい功名心が、モロに表れていることであろう。
 未来の人びとに、自分があらゆる点で優れた芸術家であったことを示せるような《名声をもたらす作品》を制作できなくなること、それがレオナルドにとって、どれほど深い痛手であるか、老獪なロドヴィーコはよく知っていた”(242p)

美術史家ではない人物によるレオナルド・ダ・ヴィンチ像を楽しむことができました。
著者による、壮年から晩年にかけてのレオナルド像が『誰も知らないレオナルド・ダ・ヴィンチ』として刊行されているので、そちらも読みたいと思います。

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斎藤 泰弘(さいとう・やすひろ)
1946年、福島県生まれ。京都大学名誉教授。専攻はイタリア文学、イタリア演劇。
『鳥の飛翔に関する手稿』(谷一郎、小野健一との共訳)で第3回マルコ・ポーロ賞受賞。
レオナルド・ダ・ヴィンチの手稿研究の第一人者で、著書に『レオナルド・ダ・ヴィンチの謎 天才の素顔』(岩波書店)、『ダ・ヴィンチ絵画の謎』(中公新書)、『誰も知らないレオナルド・ダ・ヴィンチ』(NHK出版新書)がある。
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