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2020年04月05日14:36

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日本史の探偵手帳[読書日記772]

題名:日本史の探偵手帳
著者:磯田 道史(いそだ・みちふみ)
出版:文春文庫
価格:630円+税(2019年6月 第5刷)
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歴史家:磯田道史氏の日本史に関わるエピソードを集めた本です。

裏表紙の惹句を引用します。
“いまの日本と日本人の問題を歴史的につきつめていくと「江戸時代のこと」を考え
 ざるをえなくなる。戦国時代の最強教育、殿様のベストセラー本、乃木希典の理想
 の軍人像……当代随一の歴史学者が、好奇心の赴くままに古文書を徹底調査。膨大
 な近世の古文書から、新時代を生き抜く知恵と人生において本当に大切なことを伝
 える”

目次を紹介します。
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 まえがき
 第1章 中世の武士と近代の武士の違い
 第2章 歴史を動かす英才教育
 第3章 古文書を旅する
 第4章 歴史を読む

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【第1章 中世の武士と近代の武士の違い】《江戸から読み解く日本の構造》から、時代劇でよくあるシーンについて。
“時代劇でよく、お代官様の袖の下に、封金(小判二五枚をまとめて紙封したもの)をねじこむシーンがあるが、現代感覚でいうと、あれはひとつ七五〇万円になる。
 「ほんのご挨拶がわり」などと、「越後屋」が菓子折に敷き詰めて渡せば、三億円以上になる。代官にそんなにワイロを与えても商人は元がとれない”(34p)

同じく【第1章 中世の武士と近代の武士の違い】《忠誠心ゼロの中世武士》からは2つ引用します。
1)
“同じ武士でも、中世武士と近世武士はまったく価値観が異なったといってよい。(略)
 中世武士は、「呼ばれないと来ない」「通常、呼んでもなかなか来ない」「いざという時しか来ない」という事実である。この程度の主従関係で近代武士の滅私奉公とは程遠いものであった。
 中世の軍記物にも書かれているが、万の大軍で押し寄せた軍勢が一度負けると「わずか三、四騎になりて落ちのびけり」となったのはそのせいといってよい”(15p)

2)
“火縄銃の出現は、武士たちの戦術に大きな影響を与えた。火縄銃が使われるようになった戦場では、集団でひとかたまりとなり、その中心に主君をおき、密集軍団で突撃する戦法をとることが有利となる。
 いわば最前列が楯になり、後陣が攻め込む戦法で、この戦法は、数分に一発しか撃てず、有効射程一五〇メートルの火縄銃相手だからこそ効果的となる。こうした戦法を得意とするのが濃尾平野の武士たちであった。
 かくして、濃尾平野から信長、秀吉、家康という天下を争うリーダ―たちが生まれている”(18p)

【第2章 歴史を動かす英才教育】《幸村の天才軍略遺伝子 武田+上杉+秀吉の智謀を引き継いだ男》から、真田家の立地が幸村を育てたという話。
“当時の武田家は、軍略研究、軍事技術、実戦での戦闘力、いずれも日本最強軍団といっていい存在である。(略)
 戦国時代の武田家は、兵学において、そうした知の拠「点」のひとつといってよかった。中国から軍事書を輸入し、家臣団の寄せ集めだった軍隊を脱却して、集団的な戦闘の研究を深めていた。
 そして同様の研究を進めていた、もうひとつの「点」が越後の上杉家である。つまり、当時の軍略の最先端がぶつかり合ったのが川中島の戦いであり、真田家はその最前線にいた”(90p)

【第3章 古文書を旅する】《家康のコイを食った男》から、その顛末。
“家康はケチである。まだ岡崎城にいたころのこと、家康は普段の食事は質素にしていたが、大切なお客がきたときの接待用に、コイを三本(昔は本と数えた)いけすで飼っていた。(略)
 ところが、鈴木久三郎という家臣がいた。このコイをすくって台所で料理をさせ、あろうことか主君家康が信長公から贈られた「南部諸白」の酒樽の口を切って、人にも振る舞って全部食べてしまった。(略)
 「鈴木、不届き者め。成敗するぞ」と家康がいうと、鈴木は何を思ったか、自分の刀を後ろに投げ捨て、逆ぎれしたのか、恕顔で家康に言い返しはじめた。
 「そもそも、魚や鳥に、人間の(命)を替えるということがあるか。そんな了見で天下は獲れるか。したいようにすればいい」。
 そう捨て台詞をはいてもろ肌をぬぎ、斬ってくれろとばかりに近づいてきた。家康は子供っぽいところがあるが、苦労人である。「もはや、ゆるすぞ」と静かに長刀を鞘におさめた。鈴木は殺されずにすんだ。
 のち三方ヶ原合戦で家康の命を救っている”(213p)

同じく【第3章 古文書を旅する】《荘内本間宗久翁遺書》から、江戸時代の米相場師の極意について。
“江戸人は驚くべき「相場の叡智」をもっていた。『荘内本間宗久翁遺書』(早坂豊蔵編 1898年)は、別名を「宗久翁秘録」といい、私が、死ぬまでに読んでおいてよかった、と、心底、思った一冊である。神とよばれた米相場師・本間宗久が死ぬ前に、その生涯に会得した相場極意を書き遺したものだ。(略)
 相場の運動法則を、これほど的確にとらえた書物を、私は知らない。相場は人間心理で動く。ゆえに、相場には、古今東西を問わぬ運動法則があり、それへの対処法も歴史の智慧として蓄積されている。(略)
 この本、今は、国会図書館サイト「近代デジタルライブラリー」でネット公開されている。『宗久翁相場全集』で検索すれば、どこからでも読めるはずだ”(243p)

最後に【第2章 歴史を動かす英才教育】《戦前エリートはなぜ劣化したのか》から、第二次世界大戦の敗戦を喩えた文章をご紹介します。
“自動車が崖に向かって猛スピードで走っている。車中の人々は、誰も前を見ず、ブレーキを修理したり、エンジンの調子を整えたりしている。運転手も視界が悪いと窓を拭くばかりで、肝心のハンドルを握っていない。
 満州事変から敗戦に至る日本は、例えるならば、運転手がよそ見をして、ハンドルから手を放していたために崖から海に転落していった車に見える。
 運転手として、国のハンドルを切り、ブレーキを踏まなければならなかったのは誰か? それは戦前のエリートにほかならない。政治家や官僚、軍人たちである”(157p)

今、国のハンドルを握っている人たちが国全体を見ているのか、また私利私欲に囚われていないのか。
運転を誤らないように祈るばかりです。

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磯田 道史(いそだ・みちふみ)
1970年、岡山県生まれ。2002年、慶応義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(史学)。現在、国際日本文化研究センター准教授。
史料を読みこみ、社会経済史的な知見を活かして、歴史上の人物の精神を再現する仕事をつづけている。
著書に「近世大名家臣団の社会構造」「武士の家計簿」「龍馬史」「歴史の愉しみ方」「江戸の備忘録」「無私の日本人」「天災から日本史を読みなおす」「『司馬遼太郎』で学ぶ日本史」「日本史の内幕」「素顔の西郷隆盛」などがある。

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