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2020年01月26日22:03

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中動態の世界 [読書日記762]

題名:中動態の世界 意志と責任の考古学
著者:國分 功一郎(こくぶん・こういちろう)
出版:医学書院
価格:2000円+税(2017年9月 第1版第7刷発行)
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養老孟司先生の対談本に書名があったので、読みました。

表紙裏の惹句を引用します。
“強制はないが自発的でもなく、自発的ではないが同意している。
 そうした事態は十分に考えられる。というか、そうした事態は
 日常にあふれている。
 それが見えなくなっているのは、強制か自発かという対立で、
 すなわち、能動か受動かという対立で物事を眺めているからで
 ある。
 そして、能動と《中動》の対立を用いれば、そうした事態は実
 にたやすく記述できるのだ。”

惹句は分かりやすいのですが、内容は難しい本でした。

目次は次のとおりです。
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 プロローグ
 第1章 能動と受動をめぐる諸問題
 第2章 中動態という古名
 第3章 中動態の意味論
 第4章 言語と思考
 第5章 意志と選択
 第6章 言語の歴史
 第7章 中動態、放下、出来事――ハイデッカー、ドゥルーズ
 第8章 中動態と自由の哲学――スピノザ
 第9章 ビリーたちの物語
 註
 あとがき

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まず、【あとがき】から、著者が中動態の存在を知った時のことを引用します。
“中動態の存在を知ったのは、たしか大学生の頃であったと思う。本文にも少し書いたけれども、能動態と受動態しか知らなかった私にとって、中動態の存在は衝撃であった。
 衝撃と同時に、「これは自分が考えたいことととても深いところでつながっている」という感覚を得たことも記憶している”(327p)

そして、【第1章 能動と受動をめぐる諸問題】から、本書執筆の動機となった素朴な疑問を抜き書きします。
“かつて、能動態でも受動態でもない、もう一つの態、中動態が存在した。つまり、容易には思い描けないと先にのべた能動と受動の対立の外部は、実際に存在していたのである。
 しかも、それは小難しい哲学理論のなかにあったのではない。日常的に用いられる言語のなかに、一つの態として、中動態として存在していたのである。
 では、中動態とは何なのか? どのようなものなのか?
 その名称からは、まるで能動態と受動態の中間であるかのような印象を受ける。その印象は正しいのか?”(37p)

肝心の「中動態」とは何かについて、触れている部分を2つ引用します。

1.【第5章 意志と選択】から。
“他方、同書(アリストテレス著『ニコマコス倫理学』)では、「自発的」や「非自発的」といった用語は、その行為がなされた状況に関連して用いられねばならないと言われている。
 アリストテレスがあげるのは、「嵐の際に積み荷を投げ捨てる」という事例である。
 その際、人はたしかに自分と乗組員の安全のために、自らの判断で積み荷を投げ捨てる。しかし、言うまでもなく、積み荷を投げ捨てる行為そのものは非自発的に行われている。進んで積み荷を投げ捨てる者はいないからである”(143p)

2.【第6章 言語の歴史】の[動詞はもともと行為者を指示していなかった]から。
“(フランスの古典学者)ジャン・コラールはそのような非人称的な動詞の例として、フランス語の“il me souvient”という構文をあげている。
 この場合、主語のilは何らの動作主にも対応していない。「それil」が「私にme」「思い起こさせるsouvient」という文である。(略)
 動詞を「個体化された行為者」と結びつけたがる今日のわれわれの意識では、こうした文は例外のように思われるが、〈名詞的構文〉から発展した動詞の最初期にあったのは、このような言い回しであったということである。
 動詞はもともと、行為者を指示することなく動作や出来事だけを指し示していた。”(170p)

この1,2から著者が言いたいことを推測すると、「嵐の際に積み荷を投げ捨てる」行為や、「それが私に思い起こさせる」という状態は、まさに "能動でも受動でもない状態" ということだと理解しました。
たとえば「日記が私に子供時代を思い起こさせる」という場合、誰かに「子供時代を思い起こしなさい」と強制された(受動)わけではないし、また「日記を見て子供時代を思い出そう」と意志をもった(能動)でもありません。
そんな状態を表す言葉が『中動態』なのでしょう。

読み終わった今でも、すべての内容を理解したとは言えませんが、哲学者の思考方法(考え方)がおぼろげに分かった気がしました。

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國分 功一郎(こくぶん・こういちろう)
1974年千葉県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。高崎経済大学准教授。専攻は哲学。
主な著書に『スピノザの方法』みすず書房、『暇と退屈の倫理学 増補版』太田出版、『ドゥルーズの哲学原理』岩波現代全書、『来るべき民主主義』幻冬舎新書、『近代政治哲学』ちくま新書、『民主主義を直感するために』晶文社など。
訳書にドゥルーズ『カントの批判哲学』ちくま学芸文庫、ガタリ『アンチ・オイディプス草稿』(共訳)みすず書房などがある。
最近ハマっているのは空手。
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