書き続けて、今判った。S園を地獄にさせた何かだね。S園自体ではなく。 それが判らなかったから、78年の僕も、83年の身障ミニコミの人達も、S園と戦ったと。そして、後は「自分は誰と戦ったのだろう」という、何となくクリスタル的な想いになっ
今ごろは子供会も春休み。思い出もないね。 しかし、子供会の続きはしているし、「麻薬投与など、過ちを繰り返さない為の記録残しや働きかけ」という感じで、S園の第二次活動が始まったみたいだ。むしろ、今回の方が社会性が強いようだ。ならば、かつ
僕はS園の事で大失敗したね。当時はまだ文の書き方を知らなかったから。若くて。 今日書いたものの後半を自分でも読み返したが、「職員たちは園生に盛んに話し掛けていた」など、まず褒めて、そこから「子供に対するみたいに」と批判もしている。書き
それは、何でも良いから話し掛ける事である。例えば、「今日は晴れですね」という簡単な事でも良い。「昨日の白鵬の相撲はうまかったですね」とか。 話し掛けられると、だれでも脳が活性化すると言われている。すでにアメリカでは1980年代からその面の
自分で「我々は神に選ばれた義人。S園に反対する者は悪魔」と信じていたと伝えられている。僕が見聞きした範囲内でも独善的で、おかしかった。それでキリスト教に偏見を持ち、創価学会に入った人もいたようである。僕もその事もずっと考え続けた。後年、
S園のない僕の人生。どうなったかね。クリープ抜きのコーヒーよりもまずくなるだろうね。後年は問題意識もなく、従って、勉強もせず、放送大学なども聞かず、遊んで、退屈した事は容易に想像がつく。それと、意外な事に気が付いたようだ。ハンセン氏病元患
「不死身の特攻兵」、ルポ・ライター、S園で潰れた計画 「不死身の特攻兵(鴻上尚史・講談社新書)」という本を読んだ。ルポ・ライターの鴻上尚史氏が何回も特攻機攻撃をして生き延びた佐々木友次氏の話を聞きとって、まとめて、書いた貴重な本である。何
そこは僕にとっても重い見聞であり、医学的な事なども出てきて、難しい事でもあるため、アメーバ・ブログを始めてからもしばらくは語りませんでした。でも、語りたい気持ちは強かったわけです。 創立当初はオープンな感じだったと聞いていますが、僕が
トランプ政権が対中国や日本に貿易制限。大体、最初から見えていたシナリオですが、僕は予知能力があるわけでもないし、少なくとも、今の時点ではこの問題は文に書く事はできませんね。それよりも、40年前とは言え、貴重な見聞であるS園の事をさらに思い
その文に書いた 「健全者が障碍者を追い詰めている」という対立関係で見る図式は、70年代首都圏に盛んだった脳性まひ者の団体の「青い芝」がよく述べていた思想である。職員たちのかなりもその思想の本を読み、付き合いもして、よく知っていたらしい。
1980年。ハンセン氏病サポーター会のH会で。日本の他、台湾のハンセン氏病療養所にも詳しい、当時の一神学生から。その結婚問題。「日本でも、台湾でも、ハンセン氏病の人たちは適齢期になると、猛烈に寂しいから相手を求める。恋愛感情や魅力、友情
僕と同世代の法学部の学生。学生の時に、まず、S園に行き、考え込み、職員や他のボランティアたちの話を聞き、それから全生園に行った。しきりに 「ハンセン氏病にかかった人たちを療養所に追いやったのは我々非患者だ。罪を感じると」と言って落ち込
「(70年代だと思われますが)NHKが『良い施設』として、S園にボランティアをあっせんしていた」というメールをいただきました。何分、その方の母が若い時にそこにボランティアとして行ったとか。色々と考えさせられたそうです。 確かに、創立期
そこは、僕の行った時は色々と問題がありました。成人年齢を過ぎた身障者たちが子供扱いされていたり、医療用とは言え、麻薬を一方的に投与されていたりした。直接は聞かなかったですが、手術の実験台に園生たちがされるとか。でも、ミニコミ伝えとは言え
仮にトラブルに巻き込まれなくても、出会った3人の園生が他に移った数年後にはS園に行くのを止めたと思います。でも、S園は色々おかしかった以上は、その事を世間や福祉関係に広める事も大事ですね。但し、根が深いから、40年という歳月がかかっただ
S園の事が僕に書ける理由は、園生・職員、同行者だけでもありません。文を読んで下さる読者たちのお蔭でもあります。とにかく、特定はできないし、感謝の気持ちは非常に広がるわけです。これで良いわけですね。又、関わりたい事を述べる時は誰もそのような
S園の事は82年から84年に掛けての一ミニコミ誌で伝えられてきた。その廃刊間際の記事に小さく「職員が異性園生を引き取り、結婚という形で同居生活をして、アパートなどで暮らす例も出ている」と書いてあった。いつもは職員たちを強く叩いていた記事
まず、「デラシネ」とはフランス語。「漂流者・根なし草」の意味です。その本にも説明してありますが、日本の映画の代表的な主人公である、寅さんのイメージでもありますね。僕は寅さんが大好きです。 しかし、僕が行っていた1977、8年でも、S園
五木寛之著「デラシネの時代(角川新書)」という本の190ページには「戦時体制の下では、病者は必ず差別されていました。病むことは悪であり、軍隊に入るためには健康でなければならないからです」と書かれてあります。五木氏も、戦時体制の健康者優位
アメーバで「介護芸人レイミ」のブログに「生まれてきた子がダウン症」という記事がありました。さっそく僕は「タウン症の人たちは脳の関係で音感や色彩感覚が豊かな例が多く、芸術や音楽に才能がある人たちもいる。そのような人たちも知っている。今は体に
僕と付き合った園生の一人のK氏は単に「職員が全て悪い」という考え方だった。K氏は話し方が非常にうまく、僕も早くから「職員は差別的で悪い奴らだ」と思い込むようになったし、同様のボランティア学生も複数いた。学生の二人は「S園は潰さなければダ
82年だろうか、「私に『おばあちゃんになってくれ』と言ったように、一女性にストレートに『結婚してくれ』と言えば、結婚できるよ」と(元患者の)伊藤まつさんはアドバイスしてくれたのを思い出せた。でも、皆様も判る通り、このような単純な方法では相
小中学生のみなさんへ.2018年2月書 この作文がそちらにつく時は3月になりますね。少しずつ暖かくなるでしょう。 この裏には今回のオリンピックの事を書きました。でも、日本では今までに二回、冬のオリンピックが行われています。1972年の札幌
そこにいた人たちの「ものすごい魅力」です。非常に時間を掛けて気が付きました。実際には、彼らの魂に引き寄せられるように僕も行き、今も同様に書けるわけです。 内、僕と一番気が合う男子園生だった野口栄一君の魅力については非常に早い時期か
ピョンチャン・オリンピックから・2018年2月書 みなさんも楽しく見ていたでしょう。ぼくも毎日見ていました。どの試合も選手が一生けんめいがんばって、やっていましたね。「がんばったから、メダルが取れた」と言っていた選手もいましたが、メダルは
マナーもあったが、もう一つある。小学5年生以来の経験である。 僕の学年では小学4年くらいまでは男女が仲良く遊ぶ・話をしたが、5年以降ははっきり分かれた。5、6年では男子たちは怪獣ごっこやスパイごっこをよくしたが、女子たちは絵を描いたり
そこで一人の男子園生と園当局のトラブルに僕も巻き込まれ、78年初夏にはそこに行く事を止めたわけだが、その年の夏秋の僕は挫折感に悩まされた。当時の僕はそれを言葉に言い表す事ができなかったわけだ。 今思うと、S園が狂った理由も、僕が止めざ
身障の男子部屋に限定して行った。女子の部屋には踏み込まなかった。化粧品のセールスマンでもないし、女子の部屋に踏み込む事は非常に失礼だと思って。当然ですね。でも、中には、施設の個室の異性の部屋に一人で入り込み、性的トラブルを起こしたボラン
S園では食後に、黄色の粉薬を園生児たちは飲まされていた。それについて、秘密に一職員から「それは毒物だから、良識ある職員たちはそうっと捨てている」と聞いた覚えがある。又、間接的に聞いた話だが、薬の正体は医療用麻薬とビタミン剤を混ぜたものだ