夏です。夜もさむくなく、星空もいくらでも見られますね。ぼくは子供の時から星が大好きです。みなさんも好きでしょう。星や宇宙の話をこれからします。 小さい時、ぼくは火星のことが気になりました。むかしは「火星には火星人がいる」と言われたから、ど
1976年以降、僕は世田谷の身障会と、学生の福祉会のVYSの2つに入っていた。でも、その身障会はすぐ内紛が起き、ケンカばかりになり、行けなくなった。何故かねえ。今もその会長だった人にも「わからない」わけだ。サポートするボランティア同士も
1968年7月後半。梅雨が明けて間もなく、光明養護学校からバスで軽井沢の星野温泉旅館に行った。僕の学年は要介護の身体障碍をもっている生徒が多かったが、YMCAなどの学生ボランティアと介助員、先生の介護で林間学校の生活の始まりだ。それまでの
カッパは日本各地で云い伝えられた妖怪である。人間みたいな形をして、頭部は中央に毛がなく、周囲に毛が生えている姿である。色は緑色で、足に蛙みたいに水かきがあり、水泳が得意で、出会うと「オラオラデ」とも言うらしい。特に、江戸時代に目撃や遭遇
勿論、僕はあの文で統合教育の賛否を述べているわけではありません。教師経験のない僕が賛否を述べても、それこそ、例の会長さんと同じ事をするようになりかねないし、「障碍児」の観念も昔と大きく変わっているからです。発達障碍とか精神障碍という言葉
70年代後半の東京でそのような例を見てきた。元々は小児科医。優れた医者だったようだが、自ら障碍児の行く学校を選別判定する任務に疑問を持ち、更に学校教育自体にも疑問を持ち、近代欧米と明治以来の学校教育の事を徹底的に学び、特に国家目的に学校
東京でも暑くなり、僕も冷房を入れました。但し、正午から夜9時までに限定しています。特に、寝ている時は酷暑でもない限り、冷房を入れると身体全部が冷えて、どんなに健康な人でも体に悪いです。また、どんなに猛暑の日でも、夜全部の時間に冷房を僕は