ホーキング博士によると、今から120億年くらい前に何かの「揺らぎ」が起き、そこからビッグバンが生じ、時空も生まれ、この宇宙が形成されていった。何とも摩訶不思議な科学学説である。 真の友人関係や恋愛、結婚縁も、何かの創作活動もそのような
僕も当時の東京VYS一員として行ったわけだが、そこに何故行き、交流合宿までして、又、何故、急に会として退いたか、役員たちも口を閉ざし続けているため、僕も検証に非常に時間がかかった。それを補うように、全生園に関わっていた無教会伝道師I氏の
八王子に四十七年ぶりに訪づれし、苔むす父母の墓に涙とまらず。 これは1984年11月に作られたものです。ハンセン氏病元患者のまつさん最後の短歌でしょう。まつさんは八王子市で生まれ、ご両親のお墓も八王子のお寺にありますが、そこに84年11月
ETV特集「人知れず、表現する者たち」。 25日午後11時から0時まで。NHK教育TV。 再放送=4日午前0時(3日24時)から1時。 アート・ブリュット、つまり、美術教育を受けていない人たちの作品作りを紹介した番組。知的障碍者や
もちろん、大きな事であり、僕には述べられるわけもない。それどころか、まだ誰にも判らないだろう。数百年はかかるかもしない「歴史の審判」を待たなければならない。非常に気が遠くなる話である。 但し、断片的な事は言えるかもしれない。まず、女性
言うまでもなく、米ソ冷戦の中で、日本は戦争に巻き込まれず、経済利益をただ享受していたからに他ならない。海を隔てているから、ソ連軍が日本に攻める事もあり得なかったし。 やはり、米ソの谷間にありながらも、ヨーロッパ諸国はマイホーム主義には
最新の生物学によると、人間の遺伝子は全人類がほとんど共通したものがあるから、自然と他人に関わるようになるとか。ならば、マイホーム主義や自分だけの利益追求に人間は満足できないものかもしれない。それらは道義的以前に、人間としてムリな生き方だ
戦後の日本はいつの間にか、マイホーム主義となった。核家族で城を作ったみたいになった。結婚の目的もマイホーム作りと子供作りになり、男は経済性、女には家事能力と妊娠能力が求められた。それゆえ、昔の身障者たちは男も、女も当てはまらないから、こ
昨日(21日)久しぶりに太田裕美の「木綿のハンカチーフ」を聞いた。日本のどこかの田舎が舞台の歌である。「東へと向かう列車で」とあるから、強いて言えば、長野県か静岡県だろうか。当時の田舎ののどかな風景が思い浮かばれる。確か、1976年に作
ほとんどのメンバーが「自分の姿」を活動先に投影していたからだと言える。 その会のメンバーたちの行った先は、高島平団地の子供会、墨田区の身障作業所、S園。どれも地域住民がバラバラ。付き合いがないか、付き合っても大ゲンカになってしまう。大
S園をご存知ない人は、アメーバ・ブログの「S園」の題の多くのブログをご覧ください。 それで一切が説明できます。僕が行った時は園長、各部長、医者、職員、後援会の人たち、身障園生たちと情緒障碍気味でした。一園生は話がクルクル変わり、当時の
野蛮人だね。だから、文化破壊の進んだかつてのドイツでナチスが出たり、今の日本でアダルトが陰で流行っていると。ナチスやアダルトを非難しても、取り締まっても始まらない。もっと悪いのが出てくるよ。 今気が付いた事だと。文化破壊は恐いし、気が付か
僕の世代の人です。男性。僕と出会う前、大学に入りたての時に『資本論』を読む。その歴史的な背景を理解していたのか、又、どの程度判ったのかは僕も知らない。とにかく、マルクスに心傾ける。僕とは福祉会で出会い、一緒にS園や全生園に行くが、独特な
マルクスは社会の事を「上部構造と下部構造」に分けたが、簡単に言えば、上部構造は精神的なもの全般、下部構造は経済全般である。そして、両者は「互に影響し合いながら、発展・進歩する」と述べたわけだ。どちらが優位とも述べていない。 ところが、
ラジオで非常に貴重な話を聞きました。NHK第二放送で毎週木曜日、午後8時30分・再放送は翌週木曜日午前10時から「科学と人間」という番組を放送し、今は生物学者の中村桂子さんが「まどみちおの詩で、生命誌をよむ」いう講義をしていますが、その
僕もそれらの一員だったが、その答えも「文化基盤によるつながり」だったね。当時の東京は福祉の事が世間に知られ始めた時期で、ボランティアを志す人や、身障者運動を始めたり、町に積極的に出ようとする身障者が増えていった。施設にいる身障者も友人を
読者の皆様は変に思われるかも知れないが、その具体的な姿はまだ僕の脳裏には見えて来ない。でも、見えないなりにも、今とは大きく違う事は判る。介護職や農業も高度な文化的仕事とされて、世間に認められ、尊敬も集める事は今の僕にも判るが。 現実
確かに日本でも1980年代のバブル経済の頃から地方でもそれまであった文化の絆が崩れたらしく、全国的に犯罪や精神病・情緒障碍の患者も増えている。それゆえもあろうが、その後の竹下首相が「ふるさと創生」という政策をされたが、それについて「予算
まず、文化とは何だろう。カルチャーの語源は耕す。つまり、心と社会を耕す事ではないだろうか。書く前に検索してみたが、納得した言葉はなかった。「民族的、部族的な習慣」では抽象的で、判りにくいし。強いて言えば、鉄道敷設は文明に当たるが、日本の
外国にグローバル化をする国はその前に首都の中央文化を地方に押し付け、必ずその国内の地方文化を破壊していた。例を挙げよう。 近代期のイギリスはそれまであった地方文化とカトリック文化を破壊し、ロンドンの文化を押し付けた。その要領で隣国であ
まず、19世紀の時点で、イギリスからマルクスは、今で言う所のグローバリズムを分析し、批判もしていた。資本主義の発展がグローバリズムから侵略戦争をするような帝国主義を招くと。確かに、当時のアヘン戦争はそうだったかもしれない。でも、資本主義
実は、日本に限って見ても、世界の大きな変化が福祉にも強い影響を与えています。端的な例は、世界情勢が大きく変わった第二次世界大戦後、日本でも基本的人権を唱えた新憲法が制定され、それを基本に各種福祉が時間を掛けながらも発展していった事です
毎日、トランプ大統領の想定外の政策のニュースが世界を駆け回る。驚いている人や、トランプさんに注目している人も多いと思うが、その背後にあるアメリカ社会の変質について注目しなければならないだろう。過去には暴言を述べる大統領候補もいくらでも出
先の日記では最後に悲しい一例を書いたが、何も障碍の有無に関係なく、離婚する例が多い。忍耐力の問題と批判する人もTVで見かけるが、かなりが違うと。150年前までは封建社会だった日本も、巷に滅私奉公の発想が残っており、特に女の人が「夫には尽
自己愛に基づかない愛や奉仕だが、「滅私奉仕」という言葉が心の中に浮かんだ。戦時中の滅私奉公をもじった言葉である。 それが中世にどこの国でも広まり、為政者たちが利用したから、強固な中世社会にもなったのかもしれない。日本では仏教、朝鮮・中
S園では当局者が職員に自己犠牲の愛を押し付けたと。それで次々と職員たちはノイローゼになり、端から止めていった。自分を大切にする延長の愛ではない。あるいは、職員が大人の園生を子供扱いした理由もそれと絡んでいるのかもしれない。マルクスの資本
シャカやイエスの説いた愛はどうも誤解されて伝わったらしい。どちらも「自己愛を他人や世界、全人類にまで広げろ」と述べたようだが、弟子の弟子の...と経ていく内に、「自己を滅して・犠牲にして」の愛に変えられたと。仏教の場合、南伝仏教が顕著だ