こんな題で日記に書いて良いか、判らないが、世田谷の昔の事を書きあげて気持ちが非常に楽になったのだろう、まだ一人の恋人もできていないのにそのような言葉の候補の一つが浮かんできた。 大体、女性には母性本能があるため、夫や恋人よりも我が子が
「産業社会を無意識に模したと思われる身障会」を書いた後に思った事です。 その身障者たち、特に指名介護人制度で生活した身障者たちはより重い障碍者を結果的に差別しました。それは大きな問題ですが、それだけでしょうか。まだ問題はあるはずです。
「低投票化と地域崩壊」を書いた後、気が付いた事である。40年くらい前にあった世田谷の身障団体。当時の言葉て゛「障害者が町で自立して生きる」を掲げていた。そのための話し合いを徹底して行なったが、次第に以下のようなものになっていった。 「
今回の選挙では更に低投票率だったし、国民の政治無関心化も目立ったようだ。明治時代前半は「自由民権運動」も起きたのに。その運動家たちは天国で今の日本の選挙をどのように見ているだろうか。そのような人たちに我々は恥ずかしい想いをしているわけで
4月24日に放送されたドラエモンのアニメの一つにこのようなものがあった。筋を述べると、「0点を取って落ち込んでいるノビタ君に、お姉さんみたいな形をした「慰めロボット」をドラエモンが与え、慰めてもらい、一時しのぎ的に心が休まる。ドラエモンは
昔から未来予知や透視ができる人は世界中にいる。中世の場合はそのような人たちは神の声を伝える聖者か、さもなくば、悪魔の両極端に見られていたわけである。僕の見解としてはそのような人たちはいるわけだから、否定はおかしいと思うが、神の声みたいに
ある人へのコメント文。詳しい事は省きますが、誰にとっても地域社会は大切だから。そのような事を思い続けていますが、そのコメントは僕のその想いを外に出すきっかけになりました。「社会」には二種類あるはずです。産業社会と地域社会。前者の女性進出
それは僕の家から非常に遠く、車を使っても、渋滞などを考慮に入れれば、片道一時間以上。電車を使うと2時間かかることでした。今の僕の生活に当てはめると、たとえ介護サポーターがいても、僕自身の生活が一度行っても狂いますね。さらには、結婚後を想
フェイスブックをやる前はアメーバ・ブログに力を入れていた。どういうわけか、そこでは中途半端にしか交友ができず、当時の僕は「ネット関係の限界ではないか」と思ったものです。2011年後半でしたか。ある旧友から、「その限界はおかしい」と言われ
70年代の世田谷の身障会やボランティア会を思い出すと、雰囲気が非常に堅苦しく、どちらも「我々は○○しなければならない」という言葉が目立った。ガチガチの意識。これでは身障運動やボランティアではないし、構成員全体がそういう意識なら、恋愛や結
今の介護従事者とか、児童福祉関係は本当にそれがやりたい人が就いている。でも、70年代の福祉関係はそうではなかった気がします。「S園に行かなければならない」とか、「○○子供会に行かなければならない」、「社会変革しなければならない」みたいな
僕もそうだし、僕と同行した多くの人達も全生園訪問からは差別の事が見えなかった。本などで知った例はあっても。それはある意味では、当然なんですね。口先だけで差別などは判るわけもありません。本当に話し込む事しかできないわけだから。差別の糸口が
僕・昔の福祉仲間と、全生園に行ってハンセン問題が見えなかった理由。その件には確かに史観も絡んでいますが、それ以前に多くの元患者がハンセン氏病問題を純粋に話してきた面が大きかったかもしれない。確かに、世田谷でも脳性まひ者たちが脳性まひ問題
今日(20日)ミクシー日記のコピペ通りです。純粋に脳性まひ問題を追及してもダメだね。得意なことと絡めないと。今の生き方の基礎は高島平子供会で作られたようなもの。それゆえ、深く感謝している。子供会しなければ、東京VYS連中と僕の関係は早く
今日はブログを書く予定が延期になったので、思っている事を書こう。 知らない人も多いと思うが、40年くらい前の首都圏では身障者、それも主に脳性まひ者が一堂に集まり、会合をして、「脳性まひとは何か・何が一番大切か」と話し合っていた。それで
先の日記のように、自分の経験に基づくものだから、耳の不自由な人たちへのTVの字幕スーパーのことは大いに書けますね。フェイスブックでは、その訴えについて国会議員たちも熱心に読んで下さりました。非常にありがたいことです。 でも、書けな
先日、耳付近の体内に本来ならば汗となるような水分がたまり、筋肉が水ぶくれになり、耳道をふさぎ、結果的に難聴になった。3日で治ったが、その間の経験や思った事を書こう。その前に、僕は以前も同じ状態に度々なり、その都度、聴覚問題について考え続
医学的な事です。4月8日は入浴日。その日は寒かったため、入浴時間を多めに取りました。当時は何ともなかったですが、9日夜から両耳付近に水分がたまるようになり、その結果として、難聴状態になりました。体内の水分を排出する働きのある漢方薬の防己
子供会の意味は以下の通りだったはず。前置き説明から書こう。 仲間意識と帰属意識は違う。仲間意識は市民連帯に基ずくものであり、「同じ人間」という価値観が基本。それに対し、帰属意識はその会などしか通じない狭いものである。学校ではクラスの
「天皇陛下の慰霊」の話の続きです。憲法上の制約で天皇は戦争責任こそ明言はされないものの、行動で戦争責任を引き継いでおられます。あれから考えましたが、もし、戦後日本に天皇制が廃止されていたら、戦争責任を誰が引き継いでいたでしょうか。日本の
TVで天皇陛下のペリリュー島慰霊の様子を拝見していました。日本人はどのような考え方の人も、アジア太平洋戦争の歴史を胸に留めないといけません。それこそ、障碍の有無も関係なく。日本人だけでなく、戦争死者全てに慰霊の気持ちを持って。今回の天皇
東京VYSがこぞって、S園や全生園に行った発想の根はこの通り。特に、国学院の人たちの間で「大学生は差別の頂点。自分たちはそれを踏まえて動かなければならない。学校に行けなかった人たちがいるS園に行ったり、S園や全生園の事を世間に広める=啓蒙
地震発生が海底の場合、津波がありますから、それにも沿岸地域に住む人たちは注意しましょう。 ゆっくりとプレートが動き、エネルギーを発散させる地震もあります。その場合、地震自体は弱いか、無震ですが、津波は大きくなり、気が付かない内に津
何分、予知能力を持つアメリカのある人の書いた本に「2015年4月○○日、日本の△△地域で大地震」とあり、それを紹介するブログ文を時々目にする。又、僕自身もその本を読み、よく知っている。確かに昔から未来を予知できる人はいるわけだし、日本各
いわゆる慰問は本当は天皇・国王、皇族・王族、芸能人や選手のする事です。ボランティアとか在宅身障者のする事ではないように、僕には思えますが。とにかく、人には立場がある。立場を越える事は誰でもしてはいけませんね。 僕の80年ごろに所属した会の一
そういう日の方が逆にメールが僕は自由に書けます。しかも、一人一人に対して違った話ができる。面白く感じます。 今日もそういう日でした。
誰にとっても言えるし、僕などの在宅で生きる障碍者にとっても言えると。 在宅障碍者問題に絞って述べても、いきなり介護や自立生活を求めても、始まらない。障碍ゆえに手助けが必要な者がいる事を世件の多くの人達に知らせないと、ヘルパーやボランテ
付け加えると、70年代の日本では、障碍を持つ人たちは施設の敷地内で園生と職員だけの花見が多かったし、花見以外でもその様だった。僕などの在宅身障者でも、行ける場は福祉関係に限られていた。そこで障碍者同士が慰め合って。そんな状態に僕は強いフ